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スティーヴン・キングの「書く理由」、荒井由実「ひこうき雲」と幸さんの事


スティーヴン・キングの「書く理由」と「ひこうき雲」

 荒井由実のアルバムが好きだ。「ひこうき雲」「MISSLIM(ミスリム)」「コバルトアワー」「14番目の月」
 
小学生高学年から中学生の時、リアルタイムで聞いた。
 当時、私は「ひこうき雲」が苦手だった。「ひこうき雲」を素直に受け入れるまで時間がかかった。それから気がつけば、もう半世紀近く、聴き続けている。
 私にとって「幸(ゆき)さんのこと」は「スタンド・バイ・ミー」の中のスティ-ヴン・キング「書く理由」に通じる所があり、記事にしてみる。

人がものを書くたったひとつの理由は、過去を理解し、死すべき運命に対して覚悟を決めるためなのだ

出典:「スタンド・バイ・ミー」スティーヴン・キング 恐怖の四季・秋編 山田順子訳 新潮文庫

 荒井由実にとっても「ひこうき雲」と「MISSLIM」は特に、スティーヴン・キングと同じ「書く理由」があったように思う。

私小説だというコンセプトに基づいている私小説アルバムなのね。だけどそれしかやるすべがなくて、今まで思春期とか、幼少時代を送ってきたのをすべてはき出していたアルバムが『ひこうき雲』と『MISSLIM』という二枚なの。

出典:「ルージュの伝言」松任谷由実著 角川文庫

荒井由実「ひこうき雲」と幸(ゆき)さんの事

 荒井由実の「ひこうき雲」を聞くと、幸(ゆき)さんの事を思い出す。
「ひこうき雲」が、ユーミンの知り合いの病(筋ジストロフィー)亡くなった高校生の事と聞いて、びっくりした。
 ずっと、小学生の男の子の事だと思っていた…。
 でも、ユーミンの小学校時代の同級生の事だと知って納得した。
 「ひこうき雲」は、1973年11月に発売された。私は小学生だった。ラジオから流れてきて素敵な曲だと思ったけど、詩は綺麗事だと思った。かなりひねくれた嫌な小学生だった。

 幸さんが小学校の朝礼の時、講堂で倒れた。それは運動会の練習を始めた九月下旬の事だった。幸さんは、保健室に連れて行かれ、翌日から風邪という理由で学校を休んだ。
 幸さんとよく相撲をとった。その頃、大関だった琴桜(ことざくら)が好きだった。怒涛の突き押しとのど輪で一気に押し出す琴桜が、郷土の力士である事を私たちは誇りに思っていた。暇さえあれば幸さんと数人の友達で相撲をとった。
 体育館の隅で、駱駝の像のある砂場で、校庭の鉄棒の横の砂場で、相撲をとった。幸さんはみんなより体も大きく力も強く、私は何度も投げ飛ばされた。それでも五回に一度は私が勝つ事もあり、一度だけ見事に決まった蹴たぐりの感覚を、私は長い間忘れる事ができなかった。

 幸さんが休んで数週間が過ぎたころ、私の村の温泉で同級生の親たちが「幸男君は、肺炎ではないか?」と話すのを聞いた。
 運動会を数日に控えたある日、幸さんは病院に入院した。病名は依然わからず、ただ「検査のため」と先生から教えられた。

 幸さんは理科の実験が好きだった。三角フラスコ、ビーカー、アルコールランプ、私たちはそんな実験器具に不思議な愛着をもった。ナトリウムの黄色い炎、希硫酸や希塩酸への緊張、ホルマリン漬けの生物、白骨模型、それら全てに私たちは魅かれた。
 理科室の横の金網の張られた小さな池の中にオオサンショウウオがいた。小さい目をしてほとんど動かないそいつを、私たちは飽きもせず眺めた。

 五月、理科の実験のために体育館の裏の小さな田んぼに稲を植えた。八月の夏休み、ウサギの飼育当番で、幸さんと二人で学校に行ったついでに田んぼに行くと雑草が生え、水が涸れていた。
 先生に報告して近くの民家の人に頼み、溝から水を引き、汗だくになって雑草を抜いた。休み中、幸さんと二人で何度か田んぼを見に行き、水をチェックし、草を抜いた。

引用:今は廃校になった私の小学校の体育館 

 十月、幸さんのいない運動会が終わった。私は友人と二人で幸さんのお見舞いに行った。幸さんは寝巻の裾を乱し、鼻に管を通され横たわっていた。
 その日、幸さんと話をする事はできなかった。私たちの知らない幸さんがそこにいた。病室のベランダから荒れた裏山が見えた。日に照らされた緑だけが妙に心に残った。

 その連絡が入ったのは十一月の天気の良い日曜だった。私は田村君と二人自転車に乗って「明日、制服を着てくるよう」クラスメートに伝えた。
 何人かの友人に「幸さんのお葬式」の事を伝えた後、私と田村君は、何かおかしくなった。
 まるで狐につままれたように、夢なのに夢だと気付かないでいるような不思議な心持ちでいた。
 野原に自転車を放り出して、笑いあった。その日は草の葉一本一本が、山の木々の葉一枚一枚が見えるくらい見事な天気だった。

 嘘だと思って小学校に行った。職員室に行くと女の先生が一人いた。黒板に「山本幸男君逝去」と書かれてあった。「逝去」の意味もわからなかったが「幸さんのお葬式」は嘘ではないと思った。
 先生が何も言わないので「幸さんが死んだなんて信じられなくて…」と言うと、先生は「無理もない…」と言って声を詰まらせた。
 その後、幸さんが白血病だった事を知った。

 それから田村君と小学校の校庭を自転車で何周も何周も回った。校庭をぐるぐる、ぐるぐる回っているうちに、なにがなんだかわからなくなった。
 校庭の裏山の向こうに私たちの全く知らない世界があって、そこで幸さんは元気に暮らしてる、そんな気がした。
 幸さんのいる世界が本当で、私たちのいる世界が幻のように思えた。

引用:廃校になった私の小学校

 翌日の夜、お葬式が行われた。私はクラス代表で弔辞を読まされた。
先生が書いた文に何のリアリティも感じなかった。ただ教科書を読むように読んだ。なのに大人たちが突然、声を出して泣き始めた。その時なぜか私は恐怖を感じた。不謹慎だが、ホラー映画のような不気味な怖さだった。
 幸さんの家は、私の温泉のある村よりずっと山奥だった。
 今時、土葬があるなんて思いもしなかった。
 幸さんは大きな樽の座棺に膝を抱いて入れられ、深い穴の横にどんと置かれていた。
 やがて親族たちがその座棺の蓋を閉めるために、次々と釘を小さな石で打ち続けた。ずっとマツムシ、スズムシ、コオロギ、が鳴いていた。
 気づくと、頬が濡れ、うつむくと涙がポタポタ落ちた。
 晩秋の夜空に、釘の音だけが響いた。

 二人で育てた稲はいつのまにか干乾びて、実を結ばなかった。琴桜は横綱になったけど、私は誰とも相撲をとらなくなった。
 その秋、ラジオから荒井由実の「ひこうき雲」を聞いた。素敵な曲だけど、詩は綺麗ごとだと思った。

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない

ほかの人にはわからない
あまりに若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ

空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

引用:「ひこうき雲」作詞・作曲 荒井由実

「けれど しあわせ」なんて思えなかった。
「あの子の命は ひこうき雲」と思いたくなかった。
 幸さんの命はもっともっと重く…、
 死はもっともっと生々しくリアルで…、
 なのに、やっぱり泣いた。 


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