仲間が窮屈な思いをしていて辛い。
本日、復帰関係の書類を提出するために職場へ行きました。
夕方がいいて言われたので、出張先から直で帰宅した夫に息子をお願いして、単独行動しました。
「ゆっくりお茶とかしてきたらいいよー」
とのことだったので、早めに出てありがたくそうさせていただきました。
せっかくだからと、前からいつか会おうと行っていた人と待ち合わせて1時間程話しながらお茶しました。
その時に聞いた話が心にひっかかりすぎて、今日のおかずとして焼いた鮭をグリルの中に入れたままだったことを今思い出しました。
それくらいひっかかった。
鮭は、寝るまでに思い出せてよかった。
明日食べよ。
その人は去年まで一緒に働いていて、今年度異動になった人で、私が信頼をしている数少ない人です。
中抜けしてくれ、その人の勤務先の近くにあるおしゃれカフェで久々に会いました。
どこも大変やなー
いや、ちょっと大変すぎるな。
時代に逆行しているどころの騒ぎじゃないな。
まだそんな学校あるんやな、のレベルが違いすぎる。
これが会って話した感想です。
同じ教員として、大事にするところが同じで意見が合い、部署は違うのにヘルプ出しあうことが多かったので、その人が今どんな気持ちで生徒と向き合っているのか考えるだけでもつらかったです。
特別なことではない。
普通、というと簡単にしすぎかもしれないけど、人対人としてのことができない悔しさははかり知れません。
大切な仲間だから、そのパワーを否定されていること、気配りや思いやりが無駄だと言われていること、こっちまで悔しいです。
まだ押さえつけるようなやり方をしている人はいます。
いますが、組織としてそれを良しとしているところは少しずつですが少なくなっているように思っていました。
でも、押さえつけるというレベルではない、感覚でいうともっとひどいやり方をしている組織があるんだなと思うと素直に嫌悪感です。
もっと嫌なのは、そういう学生時代を過ごして、それが普通だと思って大人になることです。
人対人で話をしても、それを緩いと受け止めるような感覚になったり、親になったときに理不尽なことを理不尽と思えなくなったり…
そのループがとまらないことが嫌です。
一人の先生が理不尽だったり押さえつけるようなやり方なら、おかしいと思えるかもしれない。
でも、組織としてそういう組織ならおかしいと思うことがおかしいのかも…って思ってしまっても不思議ではないです。
そうやって、いつまでたっても力を発揮できなかったり、心をひらけなかったり、大人を信用できなかったり、心から楽しめないってことが続くのだと思います。
今日は、仲間に会えて嬉しかったけど、仲間の力が無駄にされていることを知り、嫌な気持ちになりました。(稚拙な表現ですが、素直な気持ち)
私も間もなく仕事開始です。
メンバーが少し変わり、新たな人との関係もこれから。
どんな人か分からないけど、私は今まで信じてきたやり方で、やっていく。
仲間が発揮できない力、悔しさを晴らすとまでは言えないけど、でもそんな気持ちでやる。
気張りすぎない程度にね。
では、また。
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