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子育ては人との比較ではない。でもよく見せようとするのも分かる。

2日前、いつもいく助産所のベビーマッサージに参加した時のこと。

今回は参加者がいつもより少なく、ほのぼのとした雰囲気の中で時間は進んでいった。


ここでは、ベビーマッサージのあと美味しいお弁当が用意されていて、参加者みんなで食べる時間があります。

私は、人見知りというわけではないのかもしれないけど、何かを話さないといけないという状況に置かれることが少し苦手です。

この場面も、別に話さなくてもいいけど、同じ空間にいて同じお母さんで、同じことをした者同士なら何か話題を振った方がいいのかなって、そんな気持ちになってしまってなんだか落ち着かない気持ちになります。

いつもは、少しだけ離れたところでゴロンとしている息子が「どこいくねん!」って泣くから、それをいいことに息子に構ったりしながら、話題振った方がいいかなの呪縛から逃れていました。

ただ今回は、息子も「もうお座りできるし、この車で遊んでるから楽しんでおいで!」って送り出してくれたからどんな話題を振ろうかと一生懸命に頭をフル回転させてごはんをチビチビと食べていました。


話題は、保育園のことや兄弟のこと、おむつのことなど、まぁ色々と当たり障りのないことが入れ代わり立ち代わり話題となり、それなりにみなさんとお話をしました。


これからこうやって子どもの事で子どもの話題でつながっていく人がいるのかなと思うと、楽しみではあるけれど、そこから発展することはないんだろうなとも思うし、発展しないからいいんだとも思ってみたり…。



ほとんどの会話はスムースに、当たり障りなく流れていったけど、一つだけ私が「おん?」って思ったことがありました。


それは、生後5か月の赤ちゃんがゴロンしていて、「かわいいねー」なんて言いながら一旦お弁当に目をやり、モグモグの後にまた赤ちゃんに目をやるとスタイが顔にかかっていていないいない状態に。

私は自分の息子がそれくらいのころ、ガーゼやおくるみを顔に乗せていないいないしているのを見ては「うぉーいないやんかー!」ってばぁしに行っていたので、ばぁさせた方がいいかなって悩みました。

乗せるのによけられないから、窒息まではいかないのかもしれないけど、酸素が薄くなるのでは…とか色々と心配で。

そうこうしていたらお母さんが私の「うぉー」の表情に気づいてそばへやってきて、ばぁさせてくれまた。ほっ。

そして
「よくスタイとか枕とか顔にかけちゃってるんですよね」と一言。


わかる!心配になるよねー。そんな共感の気持ちが生まれ、
「分かります、でもよけられないから心配になっちゃいますよね。」と共感を伝えました。


すると、
「でもそんなことくらいでって、しばらく見てるんですよねー」ってnot共感。


えー、そんなこと言わないでー顔見えないって怖くない?
どうなるとかはないのかもしれないけど、まだ自由に手が動かせない子どもの顔に何かがかかっていたら、ちょっと怖くない?
そもそも顔に何かがかかっているって、なんだかちょっと嫌じゃない?


って思った。ガビーンって思った。
そしてすぐ後に、何でそんなことわざわざ言うんやろう、てなぜか悲しい気持ちになってきた。

その気持ちはおそらくこういうところからくるものだと思います。

・私はかつて心配だった時があったので、共感できると思ったら違った。
・共感できると思って手を出したら、払われた感じがした。
・心配だから今よけに来たんじゃないのかという疑いの思いがあった。
・なんとなく、細かいことは気にせず強くたくましく育ててますってアピールされた気がした。
・私の心配する気持ちを「そんな細かいこと気にしていたら身が持ちません」って馬鹿にされた気がした。


どんだけ卑屈やねんってかんじやけど、こんな気持ち達が一気に集まって悲しいようななんとも言えない気持ちになった。


その人がどんな気持ちで言ったかなんてことは分からない。
でも、なんとなく、「そんなこといちいち気にしていたらあかんよ。子どもは強いから色々気にしなくても育つから。神経質にならなくていいよ。」の呪縛をかけられているような気がしてしまった。


だから、人の前ではおおらかに小さなことで気にせず逞しく子育てをしています、ってのが出てしまうんじゃないかって。

じゃなければ、いちいちそんなこと言わなくてもいいし、「そういう方針でやってます」ってアピールしなくていいのにって。


私は心配していたから「むっちゃ心配になっちゃいますよねー」って言っちゃう。別に恥ずかしいことでもなんでもないし、初めてで分からないことだらけで、やっていくうちにだんだんわかってきたから。

ま、人それぞれですけどね。
ま、本当にそんなに気にせずに過ごしているんだと思いますけどね。


私は、同じくらいの子どものいるお母さんの言葉で苦手にしているものがあります。

「それしてたけど、結局意味なくてしなくなったわー」
「それって、お金も手間もかかるし、めんどくさくなってやめたんよね」
などといったもの。

私はそれまだやってますが…と思いながら聞いているけど、わざわぁ「意味なくて」とか「めんどくさくて」とかネガティブな表現入れなくていいやん。
私は、それが大事だと思っているからめんどくさくてもやっているんだから。


そう、子育ては人それぞれ。
どこを大切にするかは人それぞれ。
何を使うかは人それぞれ。


そう本当に思うから、私は自分からあまり「これってどうしてますか?」とかは聞かない。
でも、誰かが話していることはしっかり聞き耳立ててたりするけど。

そして、話題で悩み相談があっても、できるだけ自分のことは話さない。
話したとしても、「これが正しい、これがみんなにとって良い、そうしてみたら?」て聞こえないように心がけている。

なぜなら子育ては人それぞれだから。




そういう私の考え方も手伝って、お母さん同士で何か話をしなければいけないという状況に置かれることが少し苦手です。


もう少し柔軟に人の話も聞いて、必要なところはとって、あとは聞き流せるようになりたいなー。


そんな風に思った出来事でした。



では、また。


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