見出し画像

朝日新聞とエビデンス

今年の10月、朝日新聞デジタルに「エビデンスが無いと駄目ですか?」とする記事が掲載された。内容としては、現在何を主張しようにもエビデンスが求められ、間違った主張をしていればたちまち批判されるのでエビデンスは個人を攻撃するためのツールだと不満をあらわにするものだった。だが、仮にも情報発信を行う新聞社がこのような記事を載せるのはいかがなものかと各所から批判の声が上がった。

朝日新聞がこのような記事を上げる理由は、やはり同社が何十年も偏向報道を繰り返してきたことと密接な関係がある。ネットがない時代というのは、テレビや新聞が報道する情報が全てと言ってよく、朝日新聞等のマスコミは絶大な力を有していた。そんな中、マスコミ各社は取材を面倒くさがり事実を無視して彼らの主観を織り交ぜる報道を行いだした。
当然、マスコミの報道を批判する人たちも大勢いたわけだが、ネットがない時代ではその声は誰にも気づかれることはなかった。

しかし、2000年代に入りネットが普及してくるとマスコミのいい加減な報道内容が周知され始め、朝日新聞は特にその代表格とされた。また、Xにおいて事実と異なるポストに対してコミュニティノートがつけられるようになると、朝日新聞は大手マスコミでありながらそれが頻繁につけられる体たらくを見せつけた。

朝日新聞からすれば当然今の状況を良いと思うはずはなく、以前のようなメディアの王として事実に反した主観的な報道をしたいと考えるはずだ。エビデンス不要という今回の記事も朝日新聞の本音が漏れ出たものだろう。個人的に朝日新聞はもはや新聞社としての役割は終わっているので、不動産企業となったほうが企業の延命が図れるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?