教師の虐めが心を壊した

 今日は真面目な話。長いけど読んでください

 俺は小学生5〜6年の頃、教師と生徒を含めた結構過度な嫌がらせに遭いました。

 俺の通った小学校は運動が全てで、勉強ができるかどうかは一切評価されませんでした
 運動が苦手だった俺は担任の教師から嫌われて、教師は俺が言われた通り動けないのをみて俺を大声で叱責、ボールを投げつけたりクラスの前で1人怒鳴ったり。それが毎日

 対して勉強は得意でした。授業を聞かずとも当たり前のように満点でしたが、教師はそれが気に入らなかったようです。

 俺は明らかに教師から嫌われ始めました。
 するとその教師と仲が良い大部分の生徒たちは、もちろん俺のことを避けるようになります。それが小学5年生の初め

 ある日、生徒から避けられている俺を見て、その教師は言いました。

「お前、○○(人名)を虐めてるだろ」

 嘘だろ?
 俺がいつあいつを虐めた?
 虐められてるのは俺だ

 生徒は誰も声を上げず、俺は教師に、○○と2人で教室から出されました。

 「○○、天誅がお前を虐めたんだよね?」

 そいつはコクリと頷きました
 俺は呆然としたまま、教師の話を聞くしかなかった
 トドメにその教師は言いました

 「天誅、○○に謝れ」

 何故、何故俺が奴に謝らなければいけないのか。ただし、ここで謝らなければ教師が更に激昂するのは幼き日の俺の目にも明らかだった

 「…ごめんなさい」

 俺は大人が信じられなくなりました。小学5年生の2月2日、きっと死ぬまで忘れないでしょう

 俺の体調はその頃から急速に悪くなっていきました。過度なストレスにより食欲がなくなり、食パンは半分に切って一食分。繊維質の食べ物が喉を通らなくなり、給食は地獄に

 更に食後には毎回吐き気、チック
 夜寝る前には、クラスの騒がしい声が幻聴のように聞こえてきました。

 元々細かった体は更に細くなり、伸びをすると肋骨の下がボコッと凹むほどにやつれました

 それが続く一年

 親は俺が学校を休むのを認めませんでした。義務教育だからと。
 
 そしてある日、小学校6年の1月、俺は小さな体に抱え込んだストレスが爆発し、家で泣き叫びました。全てを投げ出してしまいたいと。
 この時既に、俺にとって頼れる人は親しかいませんでした。

 しかし泣く俺に、親は言いました。

「うるさい、良い加減にしな。何度こうやってストレス溜め込んで泣いてるの。自分で何とかしなさい」

 「ああ、これが絶望か」と思うほどの、人生における底の底でした。
 当時の俺の周りにいた味方は、親だけだったのに…
 本来味方になってくれるはずの教師も生徒も、誰も俺の側にはついてくれなかった。でも親だけは、最後まで信じていたのに…
 
 そこから先の親の話は覚えていません。
 俺は二度と人を信じることが出来ません。
 感情がねじ切れた俺は、作曲を始めました。
 歌詞に俺の想いを全て乗せたいと。

そして自分がこれ以上傷つかないために、色々と良くない人生観が形成されてしまいました

・他人を心の底から信じない
信じては裏切られ、信じては裏切られて何度もどん底まで落ちました。「信じられないなんて悲しい」と言う方もいますが、もう無理です。もう二度と俺は傷つきたくない

・嫌いな人とは戦わず避ける
俺の周りの大人は、いくら正論で戦っても、立場を利用した暴論で俺を捩じ伏せてきました。嫌いな人とは考えが違うので話すだけ時間の無駄でした…

・自分が素晴らしいと思い込む
そんなことは全くないのですが、自分が好きだと心を騙すことで、自己肯定感が極限まで上がります。誹謗中傷も人格否定も意味なし。無敵

 思い込みは僕にとっての盾でした。誰に何を言われようが、精神崩壊しないための盾。
 結果として社会不適合で、性格の悪い人間が誕生してしまいました。

 仮に、今俺が6年前、11歳の頃の自分に戻ったら、迷わず自殺します。その後の人生の幸せに、あの苦しみが釣り合わない。
 この先どれだけ楽しいこと、嬉しいことが待ち受けていようが、あの日、あの時の俺の絶望を拭いきれるほどのものはない。

 今でもこの記憶を思い返すだけで鮮明に、あの頃の感情がフラッシュバックします
 小さい頃に心に深く傷を負うとこうなるんです。悲劇は繰り返さないでください。
 
 そして俺は今日も歌詞に乗せて歌います。

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