エシカルドライバー

エシカルでスマートな安全運転を目指す料理人。

エシカルドライバー

エシカルでスマートな安全運転を目指す料理人。

最近の記事

峠の上りも下りも

みんな本当の幸福に近づくひとあしづつ ですから、必ず道は譲りたい、もしも譲られた時はしっかりと深くお礼の気持ちを伝えたい、車を運転する者同士、敬意をはらいたい。  二車線で追い抜かれた時、若い頃はイラッとしたものだが、ここ10年それがなくなった、自分に秘めているポテンシャルを発揮しないのもエシカルなドライビングだとおもうから、職場の後輩が早々と独立して自分の会社を立ち上げても「どうぞどうぞおめでとう」と祝福し、なんら焦ることはない、この世界を共有するが自分の道はただ自分だけの

    • 現時点で予測できる範囲を超えた幸福を手に入れる方法があるが、

      それは予測以上な幸福ため、その何かを得るための直接的な努力は方法がない、加えて期限は誰にも決められない。  ただその時が来るまで 愚直に目の前のすべき事をやり続けるだけ。 心の中の海、水面ギリギリ出ないあたりに希望を浮遊させる、あまり意識しない、考えすぎない、期待は禁物、ただ今現在に感謝の意識をもち生きる、直接希望を見ず、他のすべての日常に感謝の気持ちを沢山埋め込もう、 そうするといつか「ああ、これかっ!」という幸福な事件が起きるから、その時はしっかりつかむ。 路上では托鉢僧

      • 托鉢僧に喜捨する気持ちで道を譲る。

        ルールやモラルではなく自分の得になると思って続ければそれがいつしか「徳」となるに違いない、実生活でリアルに触れ合う人間関係で良い人であり続けるのはしんどいが、 ハンドルを握り、やや視線をかわす程度の距離感があれば「良い人」になりすましやすい、 人や自転車は勿論、どんな相手にも道を譲る心を表現する運転を心がけたい。 やはりエシカルドライブは楽な修行なのだ。

        • 謙虚さ、他人への尽くしが全然たりていない

          から結果、自分自身の充足感がえられない。 「情けはひとのためならず」と念じながら運転をして、車線を譲り、四つ角で譲る、 安全運転を基準に考えた上で、良かれと思う事を行動にうつすエシカルドライブの習慣はその人の人生を謙虚かつ豊かな毎日にするものと思われる、実生活の中で会う人会う人に優しく優しくってなかなか大変だけど、最低でも通勤の運転中は他車に優しく、歩行者に優しく、考えず当たり前に出来るようになろう。

          今のままではいけないのではないか?という漠然とした悩み、

           が頭から抜け切らずに生活している、当然だが車も運転している。 これがいけない、内省は一見、謙虚で建設的な個人努力なようだが逆である、自分の首筋に不必要な重しをのせ、思考がままならない状態をつくり貴重な時間を潰しているだけだ、ましてや運転中に行う芸当ではない。  いろいろなことをサッパリ考えて気持ちを切り替えるのが不得手な人間も多いと思うが、エシカルドライバーはそうではいけない、エンジンをかけて動き始めたら、脳に雲がかかっていてはいけないのだ。 通勤の車の時間だけは脳を健全に

          今のままではいけないのではないか?という漠然とした悩み、

          不注意で車をぶつけてしまいました。

           左の鼻先なんですが、🅿️の出口に低い鉄製ポールがあることが確認できていなかった、精算機に横付けをした時に位置を直そうとした瞬間でした、ガリゴリベリッ、無惨な傷をつけてしまいました、  最悪です、今でも耳鳴りがします、頭が重く、胸がドキドキ、目の奥がジンジンしています、悔しい、悲しい、情けない、自分を殴りたい、ただでさえ出費を抑えたいこの時期に、、どうしようもない、、。  保険会社と修理工場に自損事故の報告をして直して頂く方向で進めていきたいと思います。  金輪際!事故はもち

          不注意で車をぶつけてしまいました。

          批判も忠告もダメ、沈黙が金。

           年に2〜3台ですが、どーしようもなくダメな車が走っている、無免許?お酒か薬で酩酊?病的なまでの緊張? 今夜見た車は、3人の若者が乗る小型の普通自動車でした、 標識も周りのクルマにもいっさい構わずただ楽しく右へ左へドライビングしている、目的地があるのか無いのか公道と公園広場を混同している感覚でとにかく楽しい時間を過ごしている様子でした。  つい"自損事故しろ"と念じてしまいましたが心の中ですぐに謝って訂正しました。 気持ちを釣られることなくサササッとかわしてその様な車から離れ

          批判も忠告もダメ、沈黙が金。

          泣くに時あり、笑うに機あり。

           いつもの、帰り道、3車線の国道交差点いちばん右側が工事規制されていた、一同左に左に車線を移し、私はいちばん左の車線に。 信号が青になり2車線全体ゆっくりと前進を始めるが何やらモゾモゾしている、て思ったら交差点を渡った辺りに迷惑駐車車両が一台停まっている、右側車線は残り20mくらいふさがっているので実質"砂時計"の様な1車線になってしまう、 素晴らしかったのは中央車線を走る後方車両が僕と僕の前の2台を先に招き入れるためにヘッドライトを落として最徐行になる、その車はドライバーの

          泣くに時あり、笑うに機あり。

          ウォシュレット おしり故障でビデ使う

          ウォシュレットを愛用して早20年が経ちます、電化製品ですから故障や寿命はあり、ある朝突然「おしりボタン」が作動せず顔面蒼白となる日が来ます、ペーパーを使用すればことは足りるのだが、洗い流したほうがすっかりピカピカな気がしてしまう。 初代の便座の最初の故障時は動揺しました、うろたえた末に触ったことのなかった "ビデ"を噴射、なんか優しい、、やはり御婦人のためのボタンなのだ、腰の位置を少し前にずらせば男でも使える。  もはやこれまでか!と思った時もアワアワあがいてみたら解決策が見

          ウォシュレット おしり故障でビデ使う

          神様の存在には少しハッキリしないところもあるが、"バチが当たる"というのはあると信じている。

           正しくないと知りながら行う振る舞いに対して速いレスポンスでバチが当たる自分を幸せな人間だと思っている。  例えばUターンをする時は慌てず静かに対向車と歩行者をよく見て、が鉄則なのだが何かの理由でアクセル強めハンドルいっぱいに切って回る事がある、、サングラスが飛ぶ、携帯が落ちる、コーヒー がこぼれる、卵が倒れる、何かの形で戒めてくれるバチ、ありがたすぎる、 「Uターンはゆっくりとします」と改めて誓う。

          神様の存在には少しハッキリしないところもあるが、"バチが当たる"というのはあると信じている。

          過去の失敗や無念な記憶。

          残酷なまでにしょっちゅうよみがえる後悔の念、多くは何度も繰り返し思い出しているもので、まるで棚からだしては磨いて大切にながめている宝物みたいだ、消えてほしいのに。 交差点の信号待ちでふと記憶のよみがえりに襲われて心を乱される事がある、他者からは決してみてとれない超メタ個人レベルの乱れではあるがアクセルやハンドルなどに微妙に表れている、他人にはわからないそんな事だからこそ僕は周りを走るドライバーたちの横顔をチラリとみてしまう、「あの人にもあの人にもきっと人に言えない記憶に苦しむ

          過去の失敗や無念な記憶。

          あれやこれやと悩まない自分を確立したい。

          その助けとなる安全運転、 運転を始めたら常に考える事は「安全」のみであるべき、孤独に近い状態になれるし慣れた通勤道路ならばある程度のリラックスも可能なためつい考え事をする時間にあててしまいたくもなる、事の優先順位にもよるが本来「運転」以外の考え事をする時間ではないのだ。  過去の反省や今年の計画などなどもってのほか、そんな瑣末な事に脳を使ってはいけない、ドアを閉めてエンジンをかけたら安全運転のみ、、 逆にエンジンを止めて車から降りたら考えるべき事の優先第一位は「今、自分は何を

          あれやこれやと悩まない自分を確立したい。

          自分の長所を認識して、それを磨く。

           安全運転80点以上をマークできる人間はいつも何処でもいい人間になり得る素養を持っているはずだ。  短所は目立つしインパクトも強いのでつい人は「反省」をこころみてしまう、自分自身の至らなさや不甲斐なさに悩み、自分を卑下したり叱咤したくなっても決して答えは捻出出来ない、滝にうたれたりしてみても、  ハンドルを握った時にただただ安全運転の得点を上げるように努めれば、そこを伸ばせば他の短所は薄れていくものなのだ。  安全運転て役にたつ行為だなぁ。

          自分の長所を認識して、それを磨く。

          運転中の眠気、ドラッグ運転に注意。

           歯が痛むせいでバファリンをガブ飲みしている、ハンドル操作を誤る可能性もあるほどの強烈な痛み、歯医者さんに神経の処置をしてもらった翌日は痛みの倍返しが襲ってきている。  安全運転のために必要な項目にドライバーの健康が挙げられる、鎮痛剤が眠気を誘いヨロヨロ運転なんてもってのほかだ、 窓をあけてフレッシュエアーを車中に入れてシャキッとしよう!としよう。

          運転中の眠気、ドラッグ運転に注意。

          路上工事の誘導員

          全神経を研ぎ澄ませエリアの円滑を生み出している人を見た、片側通行を無駄なく行き来させるには全方向に意識を向けていなければできない、アスファルトを掘り返している職人たちの仕事や安全もその肩にガッツリかかっているし、乳母車をおしたママなんかも登場してくる、、。ブレーキを強く踏んで彼の動きにみとれていると、こ気味良く前進を合図してくれた、全く待たされた感がない。  仕事の種類に関係なく、各自が持ち場で懸命に働く姿を他人が見た時に芽生える小さい感動の吐息、それが小さく小さく空気に染み

          他利の心に努めれば、

          それこそが自分の為の行いとなる、 あくまでも「利己」を求めない事が大切でこれはふと、自分でもわからなくなるくらい繊細な境界線が引かれてある。  信号機のない横断歩道に近づいて、渡ろうとしている人を見つけたら必ずそーっと止まって横断させてあげる、その時にその横断者に気づかない他ドライバーがいると危険なので左右や後方にも充分注意したブレーキングが重要です。 なに、歩行者優先あたりまえなのですが それを丁寧に実行することで薄い薄い善行のレイヤーが自分自身を綺麗にしてくれる、 安全運

          他利の心に努めれば、