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仕事の“調べもの”と聞かれたことがリンクする瞬間は”報酬”。

今週はクリスマスなのだが普段と変わらぬ平日を過ごすところ、ちょっぴり職場で気分が高揚した出来事があった。まあ、他愛もないコミュニケーション上の”おまけ”のような感じだ。仕事では”調べもの”が多く、特に誰に指示されるわけでもない。けれど、説明できる知識を常に持っておく立場であり、果てない調べものと向き合う時間が多い。「誰が扱うわけでもない知識を誰が必要とするのだ。」と訳のわからない自問をする中、一人の男性から声が掛かる。「〇〇の説明書に書いている文言の意味ってどういう解釈でしょうか。」私の中で電撃が走る。”今だ。今まさに調べていた”。調べていた知識を湯水の如く、口から吐き出す。

すると、男は言う。「〇〇係の〇〇さんならわかると思ってた。案の定でそのとおりで助かった。ありがとう!」私は素直に感謝を受け取り、気分も高揚した。とそんなお話だ。

はて、先程まで嫌々の調べもの作業をしていたのになぜ高揚できたのだろう。いわゆる承認欲求(必要としてもらえている感覚)が満たされたこともあるが、世の中のたくさんの知識の中で、この知識が必要とされたこと。私が行う業務そのものに必要性/重要性を感じることができたからだ。普段、廊下ですれ違うくらいの他人にも関わらず、〇〇係の業務を認識し担当に必要な知識を問う。当たり前のことかもしれないが、頻繁にあることでもないのも事実だ。レアな出来事だったことも幸いした。

私自身には組織の一員としての役割がある。役割を認識して毎日をそつなくこなす日々。それで別に構わないし、作業も苦ではない。でも本当にふとした瞬間、自らの作業に意味を見出そうとしたり、役割の再認識や作業の効率に(ムダをけずること)に意識がとらわれるときがある。もちろん、それが良いときもある。ただ、”調べものと聞かれたことがリンクする瞬間”に、とれたての情報で答えることで”感謝”を受け取る。そんなちょっぴり嬉しい報酬が時には必要なのだ。いつか必要とされる知識の一つと信じて学ぶことをやめないでおこう。こんにちも続ける”調べもの”として、またモクモクと仕事に戻る。

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