『こちら、発達障害の世界より』難波寿和の感想

うわ、ウワッ、わかる!わかり過ぎる!!
となる本です。
発達障害当事者で、文字を読むのが苦じゃない方には是非呼んで欲しい。
ここ最近読んだ発達障害の本で、一番面白かった。
というか、著者の生きてきた境遇が余りにも近過ぎて、わ、私のこと????となる位だった。
自他の境界が曖昧になりがちな私の特性もあると思うが、発達障害を見逃されてきて、本人も薄っすら気付きながらも病院に行かず、鬱になるまでやっちゃうという、一連の流れが私と同じなので余りにもわかるとなってしまった。
学校教育のときは、何だかんだとコミュニティを破壊しながらも決定的な『違い』を見せつけられるのを避ける事が出来るけど、働き始めると避けてきた分凄まじいしっぺ返しをくらい鬱になるのがわかり過ぎる。
私は、ASD的な部分で人の気持は分からないし空気も読めない、そして、人間関係が煮詰まってくるとADHD的な衝動性で破壊してきた。
今も偶にやる。
それでも、自覚が芽生えて、経験則からパターンを学び、衝動性をある程度はコントロール出来るようになった事でかなりマシになったと思う。

相手の目を見て話しなさい。
これを知ってから、私は本当に、ずっと相手の目を見て話すようにしてきた。
すると、目を見すぎてきて怖い。と言われるようになった。
そうなのか、そういうものなのか、良くわからない。と思った。
私は、そうしたほうが一般に言われてるから、目を見て話していたのだけど、同じ事を色んな人に言われるので、見すぎてもいけないのか。難しい。と思った。
目をずっと見てるので、ずっと観察してるように、見張っているように思われるのかも知れないと今は思うが、一般に『目を見て話す』のが良しとされるルールじゃなかったの?勝手にルール変更しないでよ!と思っていた。
あくまで、それが暗黙のルールというやつ何だな!周りに『コイツは違う』と
バレない為にとりあえずやっておくか!という感じだった。
別に、人の気持ちを読み取るためとか、コミュニケーションを円滑にするためとか具体的な目的とかはなくて、それがルールだから、そうする。というたけだ。
著者も『他人の模倣』をして、それはこういうものなのだと形を覚えてやってきたというような事を書かれていて、私と同じだなと思った。
そういう、カタチだけをそれらしく振る舞う事を何となく模倣してやっているだけで、定型発達とそもそも感じ方が違うのでその真意は分からない。
意味は分からないけど、他の人には必要なんだろうからやっておかなきゃ。みんなこんなに疲れることをやってるのか、意味無いのに。きつい。とずっと思っていたが、定型発達の人には標準で備わっていて自動化されている動きであったし、私と違って、彼等は円滑なコミュニケーションの為にそれらを必要としているみたいなのが多かった。
これをハッキリ知覚したとき、
馬鹿みたい。
不公平じゃん。
と思った。
ルールの前提が違うのに、こんな競争社会でそれは無いでしょ、と。
それがあるんだなあ。
そんな中でも生きていかなきゃいけないので、生きやすくするためにはどうすれば良いかを試行錯誤している。
同じ様な人で先人が居るって、安心できるなあと思った。
良い本でした。
ありがとう。


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