ある暴力

「なぁ。お前」
 と、青年は呼びかけた。長身の男は怪訝な表情で、振り向きながら言った。「何の用だ。俺は忙しいのだ。放っておいてくれ」
「そういうわけにはいかないな。お前の最近の行動は目に余る。地域の人間から苦情が来ているし、暴力沙汰を何度もおこしている」
「だからどうした。俺の勝手だ、そもそもお前は何様だ」
 長身の男は、青年を突き飛ばした。青年は尻餅をつき、眉間にしわをよせてつかみかかる。
「いい加減にしろ。みんなの前で謝罪すれば、許してくれるはずだ」
「うるさい。その手を放せ」
 青年は足元の、先のとがった石で、長身の男の頭部を何度も殴りつけた。動かなくなるまでそれは続いた。
「まったく。素直に謝ればよかったものを」
 青年は踵を返し、自宅に帰ることにした。夕闇が迫り、虫の音も聞こえる頃に到着した。お腹の大きな妻が笑顔で迎え、大ぶりな肉のはいったスープを用意してくれていた。
「やはり駄目だった。あの男は死んだよ。残念だ」
 妻はスープを、手作りの器によそいながら言った。
「仕方ないわよ。この前も隣の奥さんにちょっかいをだして、旦那さんに詰め寄られていたし」
「この頃は治安がおかしい。よそ者が近くに来てからだ」
 妻はため息をはき、強い口調で返した。
「どうにかならないの? もうすぐ子供が産まれそうなのよ」
 青年は口を真一文字に結び、勢いよく立ち上がった。
「長老と話してくる」
 足早に家を飛び出し、長老の家に向った。

「・・・というわけです。地域の者たちも不安がっています。自警団を結成して、やつらを追い払いましょう」
 と、青年は言った。長老は熱心に話す姿を見て、何度もうなずき、思考を巡らせている様子だった。そして神妙な面持ちで言った。
「お前の気持ちはよく分かる。しかし、こちらから手を出せば多くの血が流れる。なんとか、あちらの長と交渉はできないものか」
「悠長なことを言っている場合ですか。やつらは話の通じる人間じゃない。私が殺めた男も、聞く耳をもちませんでした」
「落ち着きなさい。明日にでも、何人か見繕って、話し合いに出かけようじゃないか。私も昔は暴力に頼っていた。だがそれでは恨みの連鎖、行きつく先は地獄そのものだ。それは避けたい」
 話し合いなどと、悠長なことを言って、奴らが襲ってきたらどうなるのか。しかし、長老の言う事もわかる。青年は気を静めて、家に帰ることにした。迎えてくれた妻を抱きしめながら言った。
「明日、やつらと話し合いに行く。流血沙汰はなんとか避けようと思う」
 妻は大きなお腹をやさしくさすりながら言った。
「そうね。返り討ちに会うかもしれないし、そうなればこの子は父親を失うことになるわ」
 青年は、妻の頬にキスをして、「夜風に当たってくる」と外へ出た。夜は更けて、遠くから獣の鳴き声が聞こえ、宝石箱のような夜空が広がっていた。しばらく歩くと、撲殺した長身の男の死体があった。虫が顔を這い、ふくらはぎは少し齧られたような傷があった。青年は死体の両足をもち、ひきずって、崖下に落とした。
「どうすればよいのか。皆が安心して暮らすには、やはり自警団を結成し、戦闘の訓練をして備えるべきだ。身の危険を感じずに済むようになれば、そんな素敵なことはない」
 男はつぶやきながら、部落のほうを見た。火も消えて、静まりかえり、夜のしじまが辺りを支配していた。人類が文明社会を築き、警察組織を整え治安を守れるようになるには、まだ、一万年以上の時間を必要としていた。

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