自問自答ライフ

「で、今日は何が面白いって思ってんの?」
「ネタは出来てんの?」
「書くことは決まった?」
 そう自分に問う。そして答える。
「頭真っ白です」
「設定やフリはいいとして、オチがしっくりきません」
「もう無理矢理捻りだすしかないと、開き直ります」
 月曜のレギュラー企画『週刊・我がヂレンマ』はともかく、その他、ショートショートを三本とエッセイを三本は苦悩の連続である。よく考えれば、毎日締切がやってくる生活は、便秘並に苦しい。締切という名の借金取りが私の脳の扉をノックしてくる。
「おい! 早く書きやがれ! マトモな文章にしろ!」
 私の心臓は早鐘を打つ。不協和音が常であり、力みなぎる調べは珍しいものであり、やったと思っても後になれば路傍の塵に等しく思う。その塵がかなり積もっているので、「ぶっ!」と吹き飛ばしたい。その跡地にぴっかぴかに磨き上げられた玉(ぎょく)を並べて、積み上げたい。そんな理想の光りを追う日々です。
 さて、他には。
「さてはお前、才能無いな」
「積読ばかり増えて、消化した成果物はいつ書くのか」
「お前、今、ちょっと幸せだろ。満足してねぇか? 少しは不幸を親しめ」
 自分への疑いは創作をしていれば、避けては通れない。私の場合はがっちり通せんぼされている。現状、鉄の杭で風穴を開けようと艱難辛苦中です。
 さーて、文章が濁ってきたぞ。
 よーし、糞の気配が漂ってきたぞ。振り返ってみたら、足場が崩れていました。いつものことです。気にしません。いや、気にした方がいい。転落してしまうし。いやしかし、行き当たりバッタリが過ぎます。
 そんなことだから、ストレスが溜まる。考える生活が始まって10カ月が過ぎようとしているのだ(溜まらないほうがおかしい)。何かしら手を打つ必要がある。
 適当に500くらい単語を書いて、手の入る穴が空いた箱を二つ用意し、それぞれ一回づつひく。それで文章をでっち上げるとか。面倒くさい。書いている最中にストレスがマッハで溜まって破裂してしまう。
 兎に角。私は今ストレスが限界に達している。こんな時は悪口に限る。人は悪口を言っているときが、一番気持ちがすーっとするものだ。
「いざ言おうとすると、浮かばない」
 困った。苛々袋はパンパンですよ。どうしてくれるんですか。ああもう帰りたい(家のパソコンで書いてますよ)。
 閑話休題。自問自答はつづくよどこまでも。軽やかとは言えませんが、そんな時間を過ごしています。「いざ言おうとすると、浮かばない」と書きましたが今出てきました。
 あれです。マイクロブタを飼ってる人いるでしょ。猫か犬みたいに可愛がってさ。シャワー浴びさせたり、ナデナデして溺愛してみたりよ! 
 もう言う。
「豚なんて食糧だろうが! 風呂なんて入れて出汁でもとる気か!」
 もし飼うとしたら、オスなら『トンカツ』でメスなら『角煮』と名付けてやる。動画なんか見るとしばらくは可愛いけど、途中からムカついてくる。「所詮、家畜だし」マイクロだろうがUNIQLOだろうが、豚は豚。そんな思いを無視することは出来ない。番犬も出来ず、介護犬にもならない。やはり豚は食用の動物なのだ。家畜に憐憫の情など欠片もない私。結構である。
 はぁ。少しだけスッキリした。心の正露丸があったら即体にブチ込むというのに。
 アホほど脱線しましたが、ストレスに犯された脳がはじき出した結果(文章)ですので、悪しからず。
 
 

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