昔組んでたバンド(詩)

 リハーサルスタジオ。つまり、バンド練習用に作られたスタジオ施設である。朝の8時15分はまだ営業時間外であり、扉は固く施錠され、私は寒空の下であと30分どうしたものかと途方にくれる。
 ガラス張りの一階入口からは暖色の電灯が漏れ出ており、中に人の気配を感じる。馴染みの客だからと中に入れてくれたりしないものかなあとひっそり思いながら、50メートルほど先のコンビニへと私は歩き出した。背中には昔バイトの先輩から譲り受けたエレキギター。久しぶりに持ち歩く。貧弱な私の肩はしっかりとした重さに押さえつけられ、まるでこのまま風で飛ばされないよう、おもしをつけられている気分である。春、風の強い日、ピクニックシートが飛ばされないように大きめの石を拾って、私は誰かと談笑していた。
 ことの発端は過去、私が組んでいたバンドのドラムからの連絡であった。
「桜祭りの出演者募集の回覧板が回ってきたのだけど、でません?」
 彼は今、埼玉の奥地で子供3人妻1人、一家の大黒柱として暮らしている。数ヶ月前昔のバンドメンバー4人で集まり、スタジオに入って酒を飲んだ。その同窓会のような会のとき、手応えを感じたらしいのだ。いや、むしろおそらくそのための伏線としてその時もみんなで集まりませんかと誘ったのだろう。まんまと3人は乗せられた訳である。だが、お調子者のキーボードはみんなで何かするということに張り切っているし、ベースは夜逃げ同然で最近まで活動していたバンドを脱退してきたばかりである。「あの頃はなんも考えずにやってたなあ」なんて感慨とセンチメンタルを気軽に接種できるのだから悪い話ではない。一方の私は正直今更過去の活動にしがみつくようなマネはみっともないと思っていたし、乗り気ではなかった。それでも他3人が盛り上がっているのを見るとまあ仕方がないかと思い「じゃあ出るかあ、その町内会の催し」とスマホのキーボードを叩いたのである。
 ドラムが感傷的なドラマを求め、それに必要とされることや世話好きな自分を誇示したい思惑のキーボードがあれやこれやを言い、なんとなく現実逃避したいベースが同意する。そして結局3人を無碍にできない私がゴーサインの決定をくだす。このようにチグハグな性質が奇妙な連動をして我々は推進していくのである。推進力には中心が必要だと私は考えていたが、どうもそんなことはないらしい。なんとなく風が吹いたら動き出す機構も考えうるのだ。そして風が止んだら止まるのである。
 スタジオに入り、4人それぞれの持ち場につく。久しぶりに演奏される曲。ああやっぱり、相変わらず。なんとなくチグハグ。
「ドラムがボ・ディドリービートだから、なんかギターは合わせてるけどベースはどうしよう?」
私の問いかけに聞かれてもいない鍵盤弾きが答えようとする。
「えー、そんなんやってたの全然わからなかったですー!」
「相変わらず君は何も聴いてないなあ、あと今回鍵盤ハーモニカだから好きに上物のおぶり弾いてれば良いのであんま君は関係ないよ」
「関係ないって酷いなあ!あと聴いてますよ!!」
どうでも良い小競り合いにドラムの大黒柱は「懐かしいなあこの感じ」と漏らす。
ベースの長髪は我関せず、関係ない曲を弾いている。成長として、ボリュームを切ってやっているところに他のバンドでやってたんだなあということを感じさせる。
 そう、我々は能天気で少しズレていて、てんでバラバラだったのである。例えるなら幼稚園の遊技場だ。一瞬の盛り上がりも気がつくと飽きてそれぞれ好きな事をし始めていたのだ。もっとも自由そうな私こそが全く困ったものだといつも頭をかかえ、あーでもない、こーでもないと頭を捻っていた。しかし、もはやその気もなく、気軽なものである。そのくらいの方が良かったのかもしれない。
 切断と不可能の提示こそがカリスマ性なのだとすれば、私にその力はなかった。なにひとつ切断できず、ずるずると紐を垂らして絡まって雁字搦めでふらついている。それこそが生来の私の性分だったのである。
 練習が終わり、スタジオに備えてあるロビーに座りながら「よし、じゃあ次のワンマンの会議でもするか」とまた糸を絡ませる。
 「誰呼びますかね!」
ドラムの大黒柱もこのような茶番が好きであった。乗っかってくる。何周かの冗談の往復。私は酔っ払ったようなぼんやりとした心持ちになるのである。
「じゃあみなさん、それぞれの仕事に向かいましょう」
 春はもうそこまで迫っている。思えば、私の書いた曲は春の曲ばかりであった。今回三曲演奏をしようというのだが、どれも春についての曲である。春が1番嫌いだと言っていた私ははたと気づく。存外、私は春が一等好きだったのかもしれない。

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