念仏(詩)

「ごめんなさい、ごめんなさい」
いい歳をした男の私は泣きじゃくる。電車のシートで隣の彼女は虚空を見つめながら私の手を握る。
 私の口から漏れ出す言葉は何故か「ごめんなさい」であった。私を殴った彼の、彼の怒りに対してではない。それは、そうならないようにできない自分の無能力を嘆くものである。ちょうど母親に「なんであんたはできないの」と怒鳴られた幼児がわけもわからず謝るしかできない様。小さな子供の頭では母の怒りの理由は思い浮かばず、ただそれをわかってあげられない無力、それゆえに母にこのようなことをさせてしまっている不甲斐なさのみが認識されるのである。ゆえにこの「ごめんなさい」とは「無能でごめんなさい」という意味に翻訳することができる。「役立たず」であったこと、それを機械のように謝り続ける。これはおそらく、幼児期の体験のリフレインであり、私の囚われ続ける悲しみそのものであった。
 「大丈夫だよ、大丈夫だから泣かないで」
 おそらく本当に辛いのは彼女の方なのである。彼女はとても今日を楽しみにしていた。そしてやはり楽しんでいたのだ。それを無碍にしてしまったこと、そうするしかできなかったこと、それがまた私の心に重くのしかかる。言い訳はできない。出来るはずがない。私の不能はこんなにも人を困らせるし、私の可能はなんと加虐的なのであろうか。幼少期決まって私は「こんなことなら何もしなければよかった。本当はただよろこんでほしいだけだった。」という思いを抱いていたのである。
 私の家族が離散となった時、密かに思ったことはこれで解放されるということであった。もはや可能も不能も見たくなかった私は何者にもなりたくなかった。
 唯一その閉塞に空いていた穴が音楽である。エレキギターを買うこと、そして父も母もそれを悪い気はしないで見ていたこと、それはこの閉塞に唯一開いた小さな小さな穴だったのだ。歌う上では誰にも言えないことを私にしかわからない形でいうことができる。はじめて書いた歌詞は私にとっての隠蔽であり、そして語られたことのない真実であった。
 今この場にいない彼も同じなのであろうと思っていた。彼は歌を歌う人間ではないが、閉塞から抜け出すその小さな抜け道に音楽があった人であるはずである。だからこそ私は彼に共感するし、彼に善きことをしたいと思うのである。私が音楽になるとはまさにそのことである。輪廻、ループするパターンからの脱却。それが音楽であったならば、私は音楽になりたい。そう願ったのである。私の言葉や行動がリズムであり、メロディであり、他者と並んだ時に和音になればよいと思ったのである。
 しかし、それが今ひとつの不可能として突きつけられたような気がして、私は声を、言葉を失っていたのである。彼が今どうして何をして、どんな気持ちでいるか。それを思うと何故私に力がないのかということに心が張り裂けそうになるのだった。
 「どうして、わかってくれないのさ、どうして、どうして助けさせてくれないの」
「ごめんなさい、助けてよ、ごめんなさい」
 うわごとのように呟きながら頭をかかえる私に、彼女はずっと付き添ってくれている。
 「そうだね、心配だよね、次で降りるからね」
 こんなにも優しいこの子を巻き込んでしまったこと。この子にどうしたら恩を返せるか、そのような思考がすでに間違っているのではないか、そんな疑念や迷いが渦巻きながら私の涙は止まらない。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ただ私の口を借りて、
幼児の頃の私が念仏のように謝罪を垂れ流す。それはまさに念仏であった。私の悲しみの象形はそのようなものであったのである。
 

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