芸術とは(自分用メモ)

はじめに

音楽、映像、詩。
あれこれ手を出して楽しんでいる人間として「自分がやっていることってなんだろう」とよく考える。
また、人様の作品を楽しむ上で「エンタメ(娯楽)と芸術の違い」についても考える。
今読んでいる「詩のトリセツ」という本からそのあたりについてヒントを得て言語化できそうなのでメモとして残しておく。

本から得た気づき

芸術とは何だろう?という疑問に本はこんな言葉で気づきを与えてくれた。

芸術の価値はモノの「本質」をつかみ出すことにある

リンゴの絵を描くとき、多くの人は赤い球を描くはず。
匂いも味もしないけど、誰もがそれを見てリンゴと認識する。
それはリンゴの本質が「赤くて丸いもの」で、作者がその本質をうまく捉えて形にしたから。
リンゴの匂いを再現した気体があったとしてそれを「リンゴだ」と言う人はいない。

そして、取り出される「本質」はこういった記号的なものだけではない。
作者だけが感じた「赤の鮮やかさ」「曲線の美しさ」などが「作者が感じた本質」として取り出され絵に反映される。
「リンゴ」という文字列から得られない不可視の感動が絵として可視化される。
この過程が表現とか芸術とか呼ばれているのだ。

芸術の定義と作品作りに必要な能力

芸術とは

たくさんの音楽や映画や文章に触れてきた自分にとって、この言葉はとてもしっくりきた。
これをふまえて自分は「芸術=この世に存在する不可視の『本質』を見出して人間が体験できる形に構築すること」と定義したい。
芸術とは「高尚でとっつきづらいもの」ではなく「誰でも実践できる心を豊かにする行為」なのだ。
誰でも「芸術家」を名乗っていいってこと。

必要な能力

目的がわかると手段を考えることができる。
「日常から不可視の本質を発見して形にする」ために必要なことはなんだろう?
①「発見」に必要なこと
・注意深く観察すること
・分析すること
・わからないことを「わけわからん」と切り捨てない姿勢
・小さなことを「取るに足らない」と切り捨てない姿勢
②「形にする」ために必要なこと
・自分が何に惹かれるか、強く思う気持ちは何か認識し整理すること
・形にしようという意志(やり方を知る、必要なものを用意する、まずはやってみる)

体ひとつあれば演技やダンスができるし、紙とペンがあれば絵が描ける。文章が書ける。
技術は後から身につく。
機材はお金を稼げば手に入る。
やっぱり大事なのは心構えなんじゃないのかなぁと思う。

芸術を阻害するもの

①承認欲求
他人からの評価を価値基準にするといろんな支障が出る。
・本質を見逃す
・捉えた本質を歪める
・間違った形に仕上げてしまう
など。

②外野の声
偏った常識で作品の表面だけ見て勝手に良し悪しを判断し、自分に合わないものを否定するどころか作者本人まで攻撃したりインスタントな快楽を与えるためだけに作られた血の通っていないオモチャを神と崇めるバカ。
邪魔だ。どっか行け。

エンタメ(娯楽)と芸術

芸術を楽しむことを趣味とする人はたくさんいる。
人前に公開した時点で作品は誰かに「エンタメ」として楽しまれる。
だから、エンタメと芸術は両立する。
人目に触れればエンタメとなり、値段をつけて売れば商品になる。
でも、作品の芸術性は失われない。
どんちゃん騒ぎの大衆に受けそうな音楽を「商業的」、流行とかけ離れた難解な音楽を「芸術的」と分けてしまうのはナンセンスなのだ。
大事なのは作者が感じた「本質」が作品にしっかり反映されていること。
それを感じ取ること。

自分が惹かれる作品

①独創的な方法で表現されている
「リンゴ」「赤い」という言葉を使わずリンゴを表現したもの。
直接的でよく使われる言葉からは不可視の情報が削がれて面白味がなくなってしまう。
誰でも知ってる言葉なのに並べ方が面白くて、その流れが美しいと「すげえな」って思う。

②「本質」と表現が一致している(と思われるもの)
怒りを表現するのに激しい音楽を鳴らすのは正しい方法だろうか?
自分は怒っていると訴えることと、怒りを表現することは別物。
怒りが自分をむしばんで考えを曇らせる感じや、怒りをぶつけた後の後悔などを見逃していないか?
それを反映した結果、それが怒りだと気づかなくても構わない。
芯が通っているものは美しい。

③全体像が美しい
部分的に光るものがあるのもいいけど、作品が何かの連続である以上は「流れ」が美しいものが好き。
物語であれば起承転結。
絵であれば人物と背景のバランスや視線の誘導のしかたなど。

作品から正しく感動を受け取るためには自分を鍛えなければならない。
鍛えるとは普段から深く掘り下げて考える癖をつけること。
物事を客観的に見る(できればいいところを見つける)癖をつけること。

以上!メモおわり!