火を絶やさないこと
東日本大震災から13年、月並みではありますが、早いものだと嘆息します。
当時の私は、うつ病の予後悪く様々な問題を抱える事態となり、結果全て失って真冬の街場を彷徨うような状態でした。
そんな私を姉が見つけ出してくれ、実家に身を寄せていたのですが、どういった症状であったのか、自分でも良く分かりません。
とにかく、何もできずにいました。
時間感覚も虚ろですが、2カ月くらいは伏していたかも知れません。
何を考えていたかすら思い出せない、暗闇のような日々。
そんな最中の「3.11」でした。
東北とはいえ、私の実家は奥羽山脈のほど近くです。
幸い直接の大きな被害はありませんでしたが、その大きな揺れたるや、床に伏す私にも明確に感じられました。
長い長い揺れだったと記憶しています。
この震災によって多くの命が失われ、多くのモノが失われ、そして多くの人の運命が変わったことは、私が語るまでも無いことです。
そう、「運命が変わった」。
私もその中の一人かも知れません。
全てを失ったと嘆き、無気力に床に伏す私にとって、震災はある意味「鉄槌」でもあった、そう思えてなりません。
最初に、離れ離れになった妻子が心配になり、続いて様々なことが頭をよぎり出します。
「何かの役に立ちたい」
そんな、強烈な衝動が湧き上がったのを覚えています。
そこから、私の「思考」は音を立てて動き出し、人並みの生活を取り戻すきっかけとなりました。
何かの役に立ちたいという衝動は、私に限らず多くの人が根本的に有するものだと思います。
何もかもを失ったはずの、私の心の奥底にもそれはあったわけで、何しろ、その根源的な衝動というものは、人の生命力にも強く作用する、そう思います。
さて、火の話題です。
災害によってライフラインが断たれること、住む場所を失うことは、生き残った者にとっては「次に訪れる災害」でもあります。
東日本にしても、石川能登にしても、寒冷期の災害はそこが本当に難儀な訳です。
幸い、震災当時の実家はまだ「反射式」のストーブが主役であったため、最低限の暖は取れていたと記憶しています。
ただ、やがて石油流通も止まり、今度は燃料が底をつき始める。
そうなると、薪ストーブのような原始的なものが最強ですし、七輪なんかも有難い。
カセットコンロも新たな使い途が見つかったり、とにかく「電化」から離れた燃焼器材は常備必須、それだけは確かです。
常日頃、万一の時どのように火を確保するのか、明確に想定しておくことを強くオススメ致します。
都市部にお住まいの方は特にです。
火は煮炊きや暖に限らず、何かしらの安心感も持たらしてくれます。
火を中心に家族が寄り添ったり、近隣が集まったり、拠り所ともなってくれます。
だから、どこでどのように扱うのかも考えつつ、どんな時も火を絶やさない備え
はしておきましょう。
出来れば、誰かのため、何かのためという、「心の火」も絶やさず持ち続けたい、そんな13年目です。
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