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名前が遠のくー選択的夫婦別姓を願う理由ー

離婚をした友人が、晴れ晴れとした顔で言った。

「自分の名前が戻ってきて嬉しい!」 

言うまでもないが、結婚して一度改姓した名字が、離婚してもとの名字に戻って嬉しいという意味である。

(※旧姓という言い方は嫌いなので、ここでは使わない。勝手に「旧」にするなよと思う。)

彼女は、もとの名字の保険証が発行されたとき、「おかえりー!」と声に出して喜んだという。
 

わが国では、夫婦は同じ姓を名乗らないといけないとされ、婚姻届を提出した夫婦のうち、実に95%は女性側が改姓している。
つまり、結婚と女性が名前を変えることは、ほぼセットとして考えられている。そんな決まりはどこにも明記されていないにも関わらず。

私はもともとそこまで結婚願望が強いわけではなかったが、結婚に積極的になれない理由の一つが改姓だった。自分の名字を気に入っていたので変えたくなかった。
一方で、相手に改姓をしてほしいとも思えなかった。どちらかが変えなければならない以上、必ず負担が生じる。
本来結婚は喜ばしいものであるはずなのに、なぜ負担が課せられてしまうのか。納得がいかなかった。

事実婚をしていた先生の話

中学生の頃、ある先生が事実婚をされていた。
しかし、それが事実婚だと理解したのはもっと後になってから。

当時、まだ事実婚はあまり知られておらず、誤った認識をされていた。
その先生は、同じ相手と結婚、離婚を何度も繰り返していると噂されており、「一体どういうことなんだ?」と私も不思議に思っていた。
それはおそらく、子どもが生まれるたびに婚姻届を出し、そのあとすぐ、別姓にするために離婚届を出していたからなのだった。

その先生は社会科の担当で、授業で選択的夫婦別姓について教えてくれた。先生個人の思い入れも強かったのだろうが、今考えてもかなり先進的だ。
私はそのとき初めて選択的夫婦別姓を知り、いたく感銘を受けた。
「これはいいな。私も別姓にしよう。早く実現しないかなあ。」
と未来に期待を膨らませた。
何より先生自身が、早期の実現を誰よりも願っていたに違いない。

ところが驚くべきことに、2023年現在において、いまだにわが国では選択的夫婦別姓が導入されていない。
中学生の私が知ったら絶望してしまう。
嘘でしょ、あれから20年近く経ったのに?
現在の大人になった私も信じられない気持ちでいっぱいだ。

違憲訴訟の最高裁判決

2015年、夫婦同姓を定めている民法の規定の違憲性を争う訴訟の最高裁判決が出ると報じられた。
私はついに違憲判決が出るのでは、とわくわくしていた。これで別姓を選べるようになったらいいなとかなり期待していた。

ところが、結果は合憲。
別姓は認められなかった。
嘘、どうして。期待していただけに本当にがっかりした。肩透かしを食らったような気分だった。

ただし、3人の女性裁判官は全員、違憲判断をしていた。
女性の裁判官が多ければ、結果は変わっていた可能性が高い。
逆に考えると、裁判所における男女の不均衡が是正されないかぎり、違憲判決は出ないのだろうと暗澹たる気持ちになった。

2021年にも最高裁判決が出たが、これも合憲。多数意見は2015年の判決を踏襲するもので、まるで前進が見られなかった。

反対意見への反論

選択的夫婦別姓は、同姓も別姓も選べる制度である。たまに別姓を強制されると勘違いしている人がいるが、そうではない。
従来通り、同姓にしたい人は同姓にできる。同姓を選ぶことを否定するわけではない。そこに選択肢が増えるだけだ。誰もが、名乗りたい姓を名乗れるように。
 
別姓に反対する意見として、「家族の安定が損なわれる」というものがある。
家族の安定とは?名字が一緒でも、安定していない家族なんていくらでもいる。
また、3組に1組が離婚すると言われている現代において、名字どころか、家族のメンバーまで変わることも珍しくない。里親家庭で、里親と里子の名字が異なるケースだってある。

そもそも、名字が違うくらいで壊れるような家族の絆だとしたら、たいした絆ではない。名字など関係なく、そのうち崩壊するだろう。
それは絆を軽んじており、深い絆で結ばれている家族に対しても失礼ではないか。

「子の名字はどうするんだ」ともよく言われるが、話し合って好きなほうを選んだらええがなと思う。
どちらの名字にするかでトラブルになるというが、そんなことも話し合えないのであれば、すでにその夫婦関係は破綻しているのでは。

また、現行制度では、結婚して相手の姓を名乗ることになった側(多くの場合、女性)は、結婚した時点でとっくに、自分の名字を子どもに名乗らせる権利を奪われている。子の名字をどちらにするか選択できる機会があるほうが、フェアじゃないだろうか。

さらに、片方の親と名字が違うことでそれほど不利益があるだろうか。
夫婦の名字が異なることをわざわざ公表される機会なんて、そうそうない気がするのだが。(PTA役員になったときくらい?)

だいたい、いちゃもんをつけてくる奴がいたとしたら、問題があるのはそいつのほうだ。別姓が広く受け入れられれば、そのうち問題にさえならなくなるだろう。
極論だが、ゆくゆくは両親とは異なる名字を好きに名乗れるようになってもいいのではないかとすら思う。
第一、子を持たない夫婦もいるのに、子のことを持ち出して選択的夫婦別姓に反対するのはおかしくないか。

私の場合

改姓がネックで結婚をためらう人はかなりいる。
私も、おそらく冒頭の友人も。

現時点で不利益を受けている人たちの声は、いつまで無視され続けるのか。名前が変わるってかなり大きなことだと思うのに、軽く扱われている気がしてならない。
多くの男性も、自分の名前が変わるとしたらどう感じるか、真剣に想像してみてほしい。

本当は別姓が選べるようになってから結婚したかったのだが、いつまでたっても進展しないので、しびれを切らして結婚した。
事実婚は現行制度では不便な点もあるので、法律婚を選んだ。

その結果、現在私は夫の姓を名乗っている。
もとの姓は仕事のときにしか使っていない。
使用頻度が減ったため、もとの姓がどんどん遠のいていくような感覚に陥っている。

かといって、現在の姓がしっくりきているわけでもない。
いつまでも借り物のよう。要するに、宙ぶらりん状態だ。
どちらの姓も自分の名前のように思えず、唯一、下の名前だけが確かに自分を表してくれているように感じる。

氏名の記入を求められたとき、どちらの名前を書くべきか、いつも迷う。病院で現在の姓で名前を呼ばれると、反応が少し遅れる。

婚姻届を記入するとき、夫は最後の最後まで
「本当に自分の姓にしていいのか」と何度も確認してくれた。
私は現行制度上致し方ないと了承していたので、ある意味、私よりも気にしてくれていた。優しい人だと思った。

婚姻届を提出した翌日。
私たちは自宅で諸々の手続きを行っていた。
結婚を機に引っ越しをしたので、夫も住所変更の手続きが必要だった。

そのとき、夫が
「住所変更めんどくさいなあ」
とこぼした。

私はその言葉にカチンと来て、思わず、

「私は氏名変更もあるんだよ!」
と怒鳴ってしまった。

「ごめん、そうだね。君のほうがずっと大変だよね」
夫は即座に謝ってくれた。

私も怒るつもりなどなかったので、自身の反応に驚いていた。
それほどナーバスになっていたとは。

「私のほうこそ、君は何も悪くないのに怒ってごめん」

反省したものの、その後涙が止まらなくなった。
受け入れたつもりでいたが、心の奥底では氏名変更に納得しきれていなかったのだ。
夫も一緒に泣いてくれた。やっぱり優しい人だ。
二人で泣きながら、「なんでこんなことで苦しまないといけないのだろう」と悲しかった。

 
いまだに、結婚さえも認められていない人たちが大勢いる。
同性婚も選択的夫婦別姓も進まないこの国はどこへ向かっているのだろう。世論に耳を傾けず、誰のための政治をしているのか。本気でこの国は滅ぶんじゃないかと危機感を抱き始めている。変わるまで声を上げ続けるしかない。

最後に、こちらに書かれているバービーさんの気持ちが痛いほどわかって泣いた。


そうそう、こういうことなんですよ…

「両親と違う姓になることが、今になってすごく寂しい。それにどこか納得できないところもあるんだよね」

「婚姻届を提出することをやめようとか、今から私の姓に統一して!って本気で言ってるわけじゃないよ。つーたんには、私が感じてる寂しさとか制度に対する悔しい思いをわかっていてほしかったな」





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