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さまようセクシュアリティ

皆さんは、自身のセクシュアリティと向き合ったことはあるだろうか。

私は何度もある。

異性と結婚しているので、一見ヘテロセクシュアル(異性愛)に見える。
多くの人からそう思われるだろう。

しかし、ヘテロと言い切ってしまうには、引っかかる点がいくつもあるのだ。


子どもの頃から、いわゆる恋バナが苦手だった。
特に好きな人はいなかったが、みんなと話を合わせるために、別に好きでもない人を好きだということにしておいた。
(勝手に好きな人にされてしまった人、ごめんなさい。)

また、友達が誰を好きでいようがまるで興味がなかったし、「〇〇と〇〇付き合い始めたらしいよ」などと聞いても、「ふーん」という感じだった。

私の興味なさげな態度は周囲に見抜かれていたようで、陰で「あいつには恋バナしづらい」と言われていた。
(私にバレてる時点で、陰口ではないか)

こちらとしては、「うーん、そう言われても興味ないものは興味ないからなあ」と頭を抱えた。「逆に、なんでみんなはそんなに恋バナが好きなんだ?」と不思議だった。そんなにおもしろい話題か?と。


世の中にあふれるラブソングの多さも謎だった。
歌のモチーフになるものなんて、ほかにいくらでもあるだろう。もっと人生とか社会のこととか歌えよ、と反発していた。
原則として恋愛以外の歌は作ってはいけないという、暗黙のルールでもあるのだろうかと訝っていたほどだ。
それくらい、歌といえばラブソングという風潮が受け入れがたかった。
もちろん、そのような歌に共感することもなかった。


同じような理由で、恋愛ものの少女漫画もあまり好きではなかった。
私が好んでいた作品は、主人公の女の子が特殊能力や特技で活躍する話が多く、恋愛要素は少なめだった。

特に好きだったのが、「なかよし」で連載されていた野村あきこ先生の作品である。
野村先生の作品は学園サスペンス、冒険譚、シスターフッドを描いたものなど、少女漫画誌の中では異彩を放っていた。
サスペンスは、当時小学生だった私には少々難しい部分もあったが、ストーリーがおもしろかったので夢中になって読んだ。また、スタイリッシュな絵柄もとても素敵だった。作者が好きで作品を買い集めたのは、野村先生が初めてだった。
 


大学生の頃、ある女の子に憧れていた。
特別親しいわけではなかったが、顔を合わせれば言葉を交わす間柄だった。

凛としていてスレンダーな彼女は、遠目に見ても美しく、一際目を引いた。大学の構内で偶然見かけた日は、それだけで一日嬉しかった。やわらかい印象なのに、芯が強そうな人柄にも惹かれていた。

ある日、彼女がピンキーリングをはめていることに気がついた。

ピンキーリングにはさまざまな意味合いがあるそうだが、当時、恋人がいる人がつけているイメージが強かったので、とっさに、彼女には恋人がいるんだと考えた。
別に彼女とどうなりたかったわけでもないが、自分でも驚くほどショックを受けた。

「そりゃそうだよね。あんなに素敵な子だもの。彼氏くらいいて当然」

そう言い聞かせたが、自分には入る余地がまったくなく、土俵にすら上がれないことを思い知らされた。

彼女への気持ちが一体何だったのか、今でもよくわからない。

憧れをこじらせていただけかもしれないし、やはり恋に近いものだった気もする。同性をここまで想ったのは、後にも先にもこの一度きりだった。


自分はどうやら、恋愛方面について人とずれているらしい。
どこかおかしいのだろうかという思いはずっとあった。
10代の頃にもセクシュアリティについて調べたことはあったが、20代になって、もう一度きちんと調べてみようと思い立った。


調べていく中で、「ノンセクシュアル」という概念に出会った。

ノンセクシュアルとは、他者を恋愛対象にはするが、性欲の対象にはしないというカテゴリーである。

自分はこれに近いかもしれないと思った。
というのも、私は性欲もあまりない。
自分以外にも同じような人がいることに勇気づけられた。

また、恋愛への興味はかなり薄いものの、まったく恋愛感情を持ったことがないというわけではないので、アセクシュアルではなさそう。なので、一番近いのはノンセクシュアルではないか。



セクシュアリティについて調べた結果、驚いたことが二つある。

一つは、セクシュアリティはグラデーションであるということ。

現在はかなり浸透してきた考えだと思うが、当時の私には驚きだった。そもそも、カテゴリーなんて後から人間が作ったものにすぎない。そこにあてはまらない人がいても、何らおかしくはないのだ。男女二元論で考える人からすれば信じられないかもしれないが、人の性は実に多様なのである。

もう一つは、セクシュアリティは不変ではなく、変わりゆく可能性があるということ。

日によって性自認が変わるという人の話を読んだときは衝撃を受けた。無理にカテゴライズすることがいかに愚かか。

私はこの二つを知って、かなり楽になった。


今、私は自身の性的指向を「アセクに近いノンセク寄りのほぼヘテロ」だと認識している。
わけがわからないかもしれないが、別にわかってほしいとも考えていないので、「なんかややこしくてよくわからんな」くらいに思ってもらって結構だ。
ちなみに、性自認は女性である。


一度とはいえ、同性に恋心のようなものを抱いたことがあるので、バイセクシュアルの要素がゼロとは言い切れない。
また、自身の性的指向と直結するわけではないが、「青い花」「マリア様がみてる」などの、女性同士の恋愛や、友情には収まらない関係を描いた作品を好み、憧れていた。

一方で、確かに異性を好んでいる側面もある。過去に一度だけ、明確に異性に恋をしたことがあった。そして、一番推しているアイドルもキャラも異性である。


ただし、やはり恋愛には疎い。
夫のことは世界一愛しているが、恋愛感情で好きになったわけではない。
それよりも、人として好ましい、信頼できるということが大きかった。

つまり、「恋愛をしなければ結婚できない」という言説が誤っていることを、私自身が身をもって証明している。

恋愛しなくても結婚はできる。
恋愛向きの人と結婚向きの人がいるように、恋愛と結婚は必ずしも結びつかない。
結びつけられたのはわりと最近で、それほど歴史があるわけではない。
そして、恋愛も結婚も、してもいいし、しなくてもいい。


「アセクに近いノンセク寄りのほぼヘテロ」という認識はあくまで暫定で、今後変わる可能性がある。
無理にカテゴリーに押し込める必要はなく、自分が自由に認識すればいい。どのカテゴリーもしっくりこないのなら、決めなくてもいい。

セクシュアリティは外から決められるものではなく、自分自身で選び取るものだから。

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