見出し画像

初潮にまつわるエトセトラ

小学校高学年になると、同級生に初潮を迎えた子がちらほら現れる。私を含む、まだ初潮を迎えていないほかの同級生は、「やっぱりあの子か」「あの子が?意外」だのと、彼女らを勝手に評しながらも、一足早く大人への階段を上った彼女らに羨望のまなざしを向けていた。もちろん、早ければいいというものではないが、当時の私たちにとって、初潮とは、子どもから大人へと成長した証のような存在だった。
 
購読していた女児向け漫画雑誌の裏表紙には生理用品の広告が載っていた。生理にまつわる情報は、ほとんどここから仕入れたといっても過言ではない。よく覚えているのはおりものについて書かれた内容で、その当時、すでにおりものらしきものは出ていたので、「これか」と納得した。おりものが出ているのなら、生理もそのうちくるのではと期待を膨らませていた。

小学六年生の冬、「次に来るのは私だ。ほかの子に先を越されたくない」となぜか一人で闘志を燃やしていた。こんなところで負けず嫌いを発揮してどうする、と今なら思うが、当時の私は早く来ないかと気が気でなかった。

とうとう冬休みに突入。冬休みの間に誰かに先を越されてしまうかもしれない。私は異様に焦っていた。なんとか冬休み中には迎えたい。来る日も来る日もトイレでショーツを確認したが、血が付くことはなかった。

冬休み明け。どうやら新たに初潮を迎えた同級生はいないようだった。ほっとした。誰かに先を越されることが悔しいというよりも、置いてきぼりにされたらどうしようという不安のほうが大きかったのだと、このとき気づいた。
それからは、あれほど焦っていたのが噓のように気にならなくなった。気長に待つことにした。

 
中学の入学式を終えて1週間ほど経ったころ、ついにそのときはやってきた。
あれほど待ちわびていたというのに、いざ直面すると、「え、これ、ひょっとして・・・あれか?」と戸惑った。
それ以上に、「なぜ、よりによって今日なの」という思いが強かった。
というのも、その日は休日だったのだが、珍しく母と喧嘩していたのだ。何が原因だったのかは忘れたが、とにかくぎくしゃくしており、生理のことなど口に出せる状況ではなかった。

しかし、出血は止まらない。これ以上ごまかせないと判断し、おずおずと生理が来たことを報告した。
母の反応はあまり覚えていないが、すぐさま二人で生理用ショーツを買いに行った。「事前に用意しとけばよかったなあ」と母は悔やんでいた。休日だったことがせめてもの救いだった。

 
その年の夏か秋ごろ、クラスメイトがこんな話をしていた。
彼女が初潮を迎えたので、赤飯を炊いて家族みんなでお祝いした、と。

子どもが初潮を迎えると赤飯を炊いて祝うという文化を、私はそのとき初めて知った。
我が家では特に何もなかったので衝撃を受けた。
と同時に、家族全員に知られるのは嫌なので、祝われなくてよかったとも思った。

生理が来るというのは、それほど特別なことなのか。家族で共有するほど、祝福に値することなのか。もちろん、成長は喜ばしい。しかし、子どもを産める体になったことを祝っているようで、気味悪く感じた。

そもそも、ほかの家族に知られたくないと感じる子どものほうが多いだろうから、本人が同意しているのならともかく、当人の気持ちを無視して、このようなかなりプライバシーに関わることをほかの家族に勝手に公開することは、トラウマを植え付けるだけではないだろうか。
少なくとも、楽しい思い出にはならない。かえって生理をネガティブなものとして捉えてしまう可能性さえある。

また、性自認が女性でない子どもの場合、初潮はショックで認めたくない出来事であり、公にされていいはずがない。

祝うこと自体を否定するわけではないが、本人の気持ちをきちんと尊重したうえで、祝うかどうかを決めるべきだと思う。
 

子どもを産めるようになってはじめて一人前とみなされるということは、女性は子どもを産んではじめて価値がある、ということを意味する。

男子の精通を祝う文化が存在しないこととの非対称性からもよくわかる。
男性には様々な役割が期待されるため、精通など一つの出来事に過ぎず、わざわざ祝うほどのものではないのだろう。また、男性は精通を経なくとも、生まれたときからすでに「一人前」だ。

他方、女性に期待される第一義的な役割は子どもを産むことだ。それを上回る役割などないということを示唆し、産めるようになってはじめて「一人前」として扱われる。産めない女性は「半人前」、つまり「人」として扱われないということだ。
 
当たり前だが、女性の役割は子どもを産むことだけではない。自分の役割は自分で決めていい。国や社会に決められてたまるものか。私たちは誰しも、生まれたときから「一人前」なのだ。「人」なのだ。

初潮を祝う文化はあるくせに、生理自体は隠すものとされてきた。
その結果、生理の仕組みやつらさを理解している男性はまだまだ少ない。
身体的に女性であるかぎり、多くの場合、生理は何十年も続く。現代女性は、人生の大半を生理と付き合うことになるのだ。
人口の半分を占める女性が日々直面している生理がどのようなものかという情報こそ、すべての人に共有されるべきではないか。社会の成員みんなが知識を持てば、すべての人が生きやすい社会につながっていくはずだ。
 

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?