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幸せになりたいから不幸になる!?  

 自分の人生、つらいことばかり。苦労の連続。ハあ~とため息。
 でも、こういっている時って、言うほど、たいした苦労をしていません(笑)。
 世の中、自分より大変な苦難を経験して乗り越えられている人はたくさんいます。
 また、本当に、大変な出来事に遭遇した時は、きっと、無我夢中で生きているので、「苦労だ」「大変だ~」と思うことすらできないのではないかと思います。
 
 過去の私自身は「井の中の蛙」で、自分の悩みにばかり囚われて、ただ、大変だ~嫌だ~と言う「思い」を大きくしていただけでした。
 
 さて、作家のひすいこたろうさんが、こんな話を紹介されています。

 ある老人ホームで

「これまでの人生で、一番幸せだったことは?」と問いかけたら、
「は?幸せ?」みたいな反応で、全く盛り上がらなかったそうです。

しかし、「これまでの人生で、一番心に残っていることは?」の問いに、みんな生き生き、最高に輝いた顔で話した内容は

 「それぞれの苦労話!」

だったそうです。

「わしのほうが苦労した」
「イヤイヤ、わしの方がもっと大変だった」

という不幸の自慢合戦状態だったそうです。
 
 こんなお話を聞くと、「幸せになるために生まれて来た」のか分からなくなります。ひょっとして、「苦労するために生まれ来た」のでしょうか。 


 自分がパっ思いついたのは、

「不幸と幸せは一セット」

ということでした。
 例えば、ずっとご飯が食べられずおなかが減るという状態(不幸)があってこそ、毎日食べているごはんのおいしさ、有難さを倍以上感じます。そんな「幸せ」を経験できます。
 
 いつも、物が有り余っているという「幸せ」な状態ばかりを経験していると、それが当たり前になり、気持ちは平板なままです。しかし、物が少ない、足りない経験をする(不幸)があって、物のありがたみが分かります。
 
 教育哲学者の森信三先生は

「逆境は神の恩寵的試練なり」

という言葉を遺されています。
 ある意味、逆境、苦労している時は、大きく、深く学んでいる時かもしれません。その時は苦しいし、大変なのですが、乗り越えた時、自分を大きく変えていけます。そういう意味では、まさに「恩寵~贈り物」です。 
 そして、年月が経って、振り返った時、「苦労」は「良い思い出」「最高な思い出」に変わっています。老人ホームのお年寄りの話のように
 
 ひょとしたら、

幸せは、振り返ったその時、その場所にあるものなのかもしれません。

だから、

幸せを追い求めるというより、「今・ここ」、目の前の事に一生懸命になっていると後からついてくるのかもしれません。


皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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