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読書会に参加しての学び ② ~ 「今、ここ」を生きること・好奇心がある人は若い、常に学ぶ人こそ講師にふさわしい。

 先日、読書会に参加してきました。

 今回は「修身教授録」(森信三)の「第15講 諸君らの将来」を読み、感想などを交流しました。また、最近読んだ本の紹介などを行いました。
 今回の講で印象に残った文は次の通りでした。

➀総じて人間というものは、ただ将来の事ばかりを考えて、そのために現在の事をおろそかにすることのよくないことは、申すまでもありませんが、同時に他の一面には、常に前途に対して、思いめぐらしているようでなければいけない。
 
②真の読書というものは、自己の内心の已むにやまれぬ要求から、ちょうど飢えたものが食を求め、渇した者が水を求めるようであってこそ、初めてその書物の価値を十分に吸収することができる。
 内心の要求から出たのではなくて、外面的な義務や強制に迫られて読んだ書物というものは、いわば腹の減らぬのに食べた食物みたいに、不消化なものだからです。
 
③一人の人間の持つ世界の広さや深さは、要するにその人の読書の広さと深さに、比例すると言ってもよい。

 感想交流の中でも、いろいろと考えさせられました。
 
➀について
 過去の事を思い出してはクヨクヨと後悔したり、反省と称して、自分を責めたり。
 逆に、未来のことを心配したり、不安を感じて、あれこれ思い悩んだり。
 気づくと、「今・ここ」ではなく、「過去や未来に生きている」ことが多いです。
 森先生のいう「現在をおろそかに生きる」ことが多いなあと感じました。
 
 ただ、「刹那的に生きる」と言う言葉があります。
 ほんの一瞬に集中して、「一瞬、一瞬を大事に生きる」というプラスの意味もあれば、「計画的ではない」という、マイナスの意味もあります。
 どちらがよいのかなあと思っていたら、参加者の方から、

「自分の残り時間を意識して暮らせばよいのではないか」

と話があって、なるほどと腑に落ちました。 
 みんなそれぞれに「寿命」があります。しかし、それが「いつ」なのか、基本的に分かりませんし、知りません。
 それで、何となく、いつまでも生きられるような気がして、過去や未来に生きて時間を無駄にしてしまします。
 ただ、そうかといって、目の前の事だけに集中して生きてばかりだと、本当に自分に必要なことかどうかを考えるゆとりもなくします。両方のバランスをとる上でも、定期的に人生の残り時間を考えて、今、何がしたいのか、今やっている事が本当にやりたいことで、寿命が来ても後悔しないかを考えて、その上で、目の前の事に思いっきり集中したいです。
 
②・③について
 小中学校の担任の先生から、よく「本を読め」「読書しましょう」と言われましたが、「どうして読書しなきゃいけないのか?」ということは、いまいち分からずにいました。ただ「国語の成績が上がるから!」なんて思っていたりもしました(笑)。

 たしかに読書を「脳の筋トレ」だと考えれば、読めば読むだけ鍛えられるとは思います。毎日のように読んでいれば、文字を追うことや頭に言葉の意味がさ~ッと入ってくる感覚がありますが、読まない期間があって、久しぶりに読むと、なかなか言葉が頭に入っていかない、理解までに時間がかかるという経験をしました。
 きっと、読まないことで、頭がなまっている感じなんだろうなあと思います。筋トレでいえば、筋力が落ちた状態でしょうか。
 
 話し合いの中で、「本を読むこと」と「ネットニュースや電子書籍を読む」ことの違いについての話題が出ました。
 
 「本」と「電子書籍・ネットニュース」を読むことは、感覚的に違いがあると思います。どちらも「読む」事に変わりはありませんが、本の活字でなければトレーニングできない筋肉があるのではないかと感じています。
 参加者の方が「本は汚して読める(線を引いたり、付箋を貼ったり、ページを折り曲げたりできる)のがいい」と言っていて、なるほどと共感しました。実際、そうやって、なにか「作業」して読んだ本は、記憶にも残りやすいので、電子書籍などは便利ではありますが、紙の本も必要だなあとも思いました。
 
 

いきいきと生きている人に共通する部分に「好奇心旺盛」があります。

 あちこちに出かけたり、そして、たくさんの本を読んでいたり。
 いろんな話題に、「それは何?」「どうして?」「どこにあるの?」と、目を輝かせながら聞いてきます。そして、そういう方は、ご年配の方でも本当に「若い」です。
 また、そういう好奇心をもって本を読んでいる方は、なぜか「話に深み」があります。

 同じ分野、内容の話をしていたとしても、詳しく知っているのか、理解があるのかが何となく分かります。話の中に、本に書かれているキーワードが入っているからなのか、ちょっとした言葉遣いなのか、はたまた、その方の自信と言うか、「その人の世界が広い」ということが伝わってくるからなのか。
 
 自分もその方のようになりたいなあ、そんな歳の重ね方をしたいなあと憧れます。
 
 図書館に行くことが多いですが、最近はじめたことは、自分になじみのない分野の本を1冊は借りるということです。
 
 今までは、好きなミステリーの本やビジネス書みたいな本が多かったですが、それでは、「偏りが出てしまう」「視野が狭くなる」と思い、「宇宙」「物理」「絵本」「音楽」などを借りようにしました。
 すべて読むかと言ったら、そうではありませんが、返すまでに、さらっとページをめくったり、出てきた写真を眺めたりするだけでも、違います。記憶に残ったり、別の本を借りる時に、ふいと思い出したり。
 こうやって、少しずつでも「自分の世界」を広げられたらなあと思っています。
 
 その他に「不易流行」についての話題も出ました
 
 メンバーの一人は、退職されたのですが、周りに求められて、再任用で働いたり、や研修会の講師になったりしています。
 
 現在の心境として

「自分の話が若い人たちに通じるだろうか」
「昭和の価値観だし、私が話をしていいのか」

と悩むようになったと言っていました。それでも、だからこそ、今もセミナーやあちこちの勉強会に参加して、「最新情報」を仕入れつつ話をしていると言っていて、そういう姿勢に私は感動しました。
 
 他のメンバーから「講師の中には、ただ、自分の成功体験と言う自慢話で終わっている人もいる」と聞いて、考えさせられました。

 そして、老若男女問わず、皆に通じる不易(いつまでも変化しない本質的なもの)を大事にしつつ、流行(それでも時代に合わせて新しくしている、変化していくこと)を大事にしていかなくてはと感じました。
 
 最後に「合同読書会」の開催案内もありました。
 こうやって、会に参加するからこそ、新しい情報を得たり、ご縁がつながっていったりするのだなあと改めて思いました。
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。 

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