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自分を許すということにたどり着き自分を認め大事にすることができるようになるまでに何十年かかったことでしょうか。
見猿聞か猿言わ猿はいにしえの人々がこんにちまで残してくれた言葉のギフトだと思います。
このストーリーは職場の男性のお話です。



休めばいいのに!と皆が言うほど休みなしで働いている人がいます。
働いている分もちろんかなり収入もいい。
けれど体が疲れ果ててるせいか自分がやっている不正行為が正しいのか正しくないのか頭が麻痺している状態なのでしょう。
本来、みんなで分けるべきお金を自分のポケットにしまい込んでいました。
これは後輩も何度も目撃はしています。
どうすればいいか後輩と話し合いました。

上司に直接言うのか?黙っておくのか?
もちろん報告をすると彼はクビになるでしょう。
なぜなら現金収入がその日にいくらあったかレポートを見返せば全部の数字が出てくるから。
数年前までの自分は本当に正義感が強かった。というか不正行為が許せなかったからその時の自分なら真っ先に上司には言っている。
けれど一番苦しんでいるのは不正行為をしてる本人のようで
何かに怯えてソワソワしているような様子が伺える。
お金が全て!お金がいつの日か手元から去る不安やかつて貧乏で大変な思いをしていた話も何度か耳にしました。
だからどんなに風邪をひこうが、腕を骨折して周囲が休んで欲しい!と懇願しても無理矢理に出勤してきて結局周囲の人たちが彼の分まで尻拭い。
彼の心の隙間を埋め尽くすかの様に稼いだお金はヨーロッパ製の高級な靴や服或いはアクセサリーや香水へと変わっていく。

彼はまだ30代
同僚は後輩といえども40代の後半で母国では戦争や紛争が繰り返し起こり彼女の青春時代は国のために働いて終わったそうです。
その間何度か出家し尼寺にも籠り仏教の尼さんでもあった彼女は言いました。
私の国は貧しいけれど心まで貧しくはなっていない。と
”彼に学ばせることも大事だし彼は彼なりに心を満たされない何かが過去にあるんだろうから私たちは自分を楽しんで自分の徳を天に積みましょう”

心が楽になったこと。
私の年齢で飲食店での汚れたお皿や残飯を片しているといろんな人の心の底の底が見えてきます。花粉症がひどくて外の窓拭きがきつかった時に”花粉症がきつくて目が痒っくて。来週マルマルちゃんの当番の時に私が窓拭きをやるから今日はお願いしてもいいかな?”とお願いすると”私だってやりたくないのよ!”ときつい言い方で怒ってくる同僚。人によって態度ががらり変わるのはもう見慣れた光景。
それはそれで面白くもあり。以前はあの子が今日は職場にいるなあ〜またきつい言い方されるのかなあと身を構えた時期もありました。
けれど”受け取らない”ことも覚えました。
お釈迦様が相手が言った罵りや罵声は贈り物と同じで要らないからお返しします!といえば相手に戻すように言葉も発信してきた本人にそっくりそのままお返しできるお話を聞いてから自分を卑下するような言葉や愛のない言葉を受け取らなくなったのです。そして人は疲れて自分に余裕が無くなってくると自分の行動や言動が見えなくもなってしまう事実。
心がとても楽になりました。

今言えることは、その後彼がどうなるのか分からないけれど
私は私の日常を大事に暮らしていきます。
なぜなら私も彼の年代の頃は不正行為はしなかったにしろ本当に自己中で人に迷惑をいっぱいかけ人にきつい言い方もしたり反省することばかり。もう会えなくなった人たちには時折心の中でごめんなさい!と呟いている。

早かれ遅かれ彼の蒔いた種から何かを学び成長し心の健康を取り戻して欲しいと願うばかりです。因果応報って自分の罪を自分で刈り取るとも言うけれど学びをくれるチャンスでもあるって思います。
私もまだまだ生涯現役学び中!

見猿聞か猿言わ猿 生きていく智慧。

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