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【NVC】相手に選択肢を与えられないのは、自分に選択肢が与えられていないから。


そんな風に寄り添いたいと思う一方で

待ってくれないのが医療現場。

何よりも入院期間が延長することを恐れている。
ケアが必要な患者であればあるほど。

それは医療費から始まり、
人手、ケアの必要度、そしてケアする側のストレス。
さまざまな理由で「退院」や「転院」が急かされる。

余命宣告されながら治療を受ける患者であっても例外はない。
私たちは人が生命の終わりや人生の変容を受け入れる過程を
必死に理論立てて学ぶが、
その受容を見守る・受容するまで一緒に耐えるということを経験できず、
受容していない相手にこちら側のコントロールがかかった選択肢を
提示することになる。

「退院できますか?退院するためにはどんなことが必要ですか?」
「家に帰るためには◯◯を覚える必要があります、できますか?」


フィンクの「危機モデル」
キュブラー・ロス「死の受容過程」

医療者が悪なのでも、国が悪なのでもない。

人にも資源にも限界はある。
だから待てないことや、急かさざるを得ないことが悪なのではない。
病気になった患者が悪いのでもない。
問題になるのは、罪悪感から逃れるためなのか、正当化するためなのか、
「こちらが正しい」「こうするべきである」という寄り添いとはかけ離れた
手法でこちらの手段・戦略を通そうとしてしまうということ。

自分が主体的に決める選択肢が与えられないと、抵抗が生まれ、本来持っているはずの思いやりが出せなくなる。
実際、私たちが患者に思いやりを出せなくなる時は、
自分たちに選択肢が与えられていない時であることが多い。

それに気がついたら、「選択肢を自分で持つ」ということも可能になるはずだ。そして選択肢がないことの嘆きや、相手に十分な選択肢を与えられないことについて、正直に話すということも選択できるようになるのかもしれない。

「あなたは今とても依存的になっている。このままだと家に帰れないから
今日から自分でやってほしい」

と決めつけて選択肢を与えない代わりに、

「あなたの体調のことを心配していて、充分なケアが受けられているか気になっている。そして、それがあなたの自立心を失うきっかけになっているかもしれないのではということも気がかりに思っている。
ケアに依存することで自宅に帰ることが難しくなるのではないかと思っているのだけれど、それについてどう感じているか教えてもらえませんか?」

そんな「無防備な正直さ」、つまり自分の思いを開示をすることは親密さへの第一歩にもなり、お互いの関係性を安全なものにする「思いやりスイッチ」を押せるきっかけにもなるのかもしれない。


NVCを医療界で実践した本の読書会に参加して思ったこと。

早いものでもう残りあと1回。
実際にNVCを医療現場で実践してみた結果の話や、
そして医療現場にNVCを届けたいと思っている医療者、
医療界にNVCが広まってほしいと願っている方々の話を聞けるのは
本当に本当に貴重な場です。

毎回3時間くらい、話したいし、話を聞きたい。

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