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幸せとは Vo.2

“1か月が経ちここでの生活に完全に身体も心も順応してきた。”と11月半ばに下書きをしたままこのページを放ってしまっていた。そしてなかなか文字を綴る気持ちにならず気がつけば12月も10日が過ぎている。

今回も幸せについて少し書いていこうかなと思う。
ここフィジーに15年住んでいる日本人の方とお話しする機会があり、フィジーの幸せについて聞いてみるとその人は、「幸福度が高いと言われているがそれは同時にここの人たちが諦めていることでもある。だから現状維持のままだ。日本はさらに上を、より良い暮らしを求めている故の忙しさであって、だからここの人達が幸せかと言ったらどうなんだろう。。」と。
でも私は10月半ばから約2ヶ月フィジーで生活し、上記の事とは逆の事を思った。フィジーが主観的幸福度が高いと言われていることに納得している。

その理由について。
日本は確かにより良い暮らしを求めているからこそ、色んな方面での技術や暮らしやすさのレベルは高いと思う。でもその事に必死で心がボロボロだったり幸せと感じる瞬間が少なかったり、その瞬間が全く無いのであればそれはどうなんだろうかと私は思う。現状維持でも今の生活に満足していて心にゆとりがあるフィジー人の生き方のほうが私はとっても大好きだ。いい意味でのんびり働き、時間になれば店を閉め、家族や友人との時間を楽しむ。え、とんでもなく最高だ。
夜になるとカバという伝統的な飲み物をみんなで囲み楽しそうに唄ったり、話をしているのをよく見かける。目が合えば「Bula!」と笑顔で挨拶をしてくれる。みんな自分の事だけに忙しくはしていないのだ。

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セルフ虫眼鏡で星を眺める



ここに来てじわっと心が温かくなる瞬間って何度も体験してきた。
他人を巻き込んで幸せを連鎖させていくフィジー人には学ぶことが多い。そして何よりフィジー人の好きなところは笑い声。笑
本当にみんな愉快な笑い声で毎回釣られて笑ってしまう。笑いをも連鎖させhappyな気持ちにさせてくれるフィジーの人達が最高に大好きだ。

もちろん日本人でもたくさんの人が幸せを感じていると思うし、幸せだと思う。だけどフィジーの人達の幸せの感じ方ってとてつもなくハードルが低い、それがとっても大事だなと改めて感じた。
もちろん今私がここに綴っていることが正解でもないし、全てでもない。
地球にこんなにたくさんの人がいれば幸せの在り方って何通りもあるものだし、感じかたも人それぞれだ。

最後に、ここフィジーにはフィジータイムというものがある。
これはゆとり時間みたいなもの。例えば“12時に誕生日会開始ね”と約束をしていたとする。日本人だったら遅くても5分前には集合していたり、遅れても数分だし、ごめん遅れるよって連絡を入れたりする。
でもフィジーでは30分〜1時間遅れたりするのは当たり前だ。そして待ってる側が“フィジータイム、フィジータイム”と言う。みんな口を揃えてフィジータイムと言っている。ここにも幸せへの秘訣があるなと思った。
日本だったら待たされているということに腹を立てる人もいるだろう。その時点でhappyな気持ちではない。何度もその場面を目の当たりにして寛容になることの大切さを再確認し、そしてフィジータイムという魔法の言葉を私は手に入れた。
もちろん毎回時間通りに始まらなかったり集まらない訳ではない。でもこの魔法の言葉を唱えるだけでhahahaと笑い話になる。

自分の幸せをこれからたくさんたくさん共有していくので楽しみにしていてください:)

Vinaka


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