15歳だった。

どうしても、どうしても、行きたいんだ。

都会でもなければ、ド田舎とも呼べない中途半端な街で中学3年生をやっていた僕は、どうしても家を出たかった。遠くに、いやもっと具体的に言うと海外に行きたかった。

大学まで待てないのかと親からも聞かれたが、「無理」と一蹴。今考えれば滅茶苦茶で、よくそんなわがままを親は聞いてくれたと思う。

なんでそんなに日本を出たかったのか。自分に向けてちょっと整理しなおしてみようと思う。

と、ここまではNote界隈でよく見る文体で書いてみたけど、どうも丈の合わないシャツを無理やり着させられているようで気持ち悪くて仕方ないので、読みやすさ無視して好きなように書きます。

で、理由をざっくり分けると大体こんなもんかな。

喘息

これがやっぱり一番でかい理由だと思う。中2の終わりの春休みに、特に興味なかったけど母親が申し込んでくれた英国ケンブリッジへ2週間ホームステイを体験して、あっちの乾いた空気と硬水とどんよりした空とまずい食事とバーガーキングにすっかりあてられてしまった。そして何よりも、物心ついてからずっと飲み続けていた喘息の薬から初めて解放された。(ただ飲み忘れただけなんだが、飲み忘れても発作がでないことに驚愕した)

息が吸える。息が吐ける。

なんて自由なんだ!なんてハッピーなんだ!オレ、海外の空気の方が体に合ってるかも!日本出よう!っていう刷り込みが頭から離れなくなってしまった。また実家に戻って喘息の薬を一日2回、2週間に一回の通院生活が始まったが、考えるのは「ああ、海外に行ってこの不自由な体から解放されたい」ばかり。通院の薬代、病院までの送り迎え、夜中の発作→深夜に病院に行って薬の吸入や点滴、自由時間に友達と一緒に遊んでもちょっとダッシュしただけで発作がでて遊べなくなったり、楽しみだったじいちゃん家に泊りなのに薬を忘れて結局家まで車で取りに帰ってもらったり、なんか自分の存在が周りの人の負担にしかなってない状態でずっと育ったので、「社会に対して負い目を感じてる感」から解放されたかった。

今思えば別に喘息なんだからしょうがないし、特に親になんかは別に負い目を感じる必要なんてない(自分がもし親だったら子供にそういう風に思ってほしくないという意味です)っていうのは理論としてはわかるんだけども、ティーンエイジャーで今でも空気読むのが苦手な僕は、とにかく喘息さえどうにかしたいと必死だった。

受験戦争と、阪神大震災とその後の父親の激烈勤務と、オウム真理教

これはどっちかというと後付けの理由かもしれない。でもアラフォーになって、自分よりも20歳ぐらい若い子に日本なんで残らなかったのって聞かれて、ちょっとカッコイイ理由を考えたら、こういうのも思い出した。僕は昭和56年生まれで、小学生の時にバブルがはじけて山一証券の社長が泣きながら記者会見するのをテレビで見た世代だ。オウム真理教に関する一連の事件で、「拉致監禁するぞっっ」ていうのをやたらと叫んで怒られている同級生をみてゲラゲラ笑っていた。オウムの実行犯やワイドショーに出てる超高学歴の人たちがテロや殺人の実行犯だなんて、漫画が現実になるよりも嘘っぽかった。なので当時受験用の数学の参考書を買ってはみたものの全く歯が立たず自分の頭に限界を感じていた僕は、これをすごーく良い言い訳に利用することにしたのだ。

「勉強しても意味ない」「東大に行っても結局オウム真理教」「っていうか、なんでこんな事勉強しないといけないのかがわからない」「こうやって一生懸命勉強していい高校入っていい大学入っていい会社に入って、そして馬鹿みたいに働かされて過労死して、そんな人生意味あるんか」などなど、とにかく日本の教育システムから脱出したかった。海外に行けば自由になれると思っていた。

そして同時期に起こった阪神大震災で、父は当時2時間かけて神戸まで通勤し、ほぼ毎日最終で12時過ぎて帰宅、朝は僕が起きる前に出勤、残業がある日は帰ってこなかったりと、滅茶苦茶激務だった。普通は「お父さん僕のために世の中のために一生懸命働いてくれてありがとう」というはずなんだけど。でもひねくれてる僕みたいな中学生は、「俺は絶対オトンみたいな馬車馬みたいに働かされる社会の歯車にはならないぜ」といかにも自分勝手で他人の迷惑を全く考えない決心をし、日本脱出を決意したのでありました。僕はそんなに働きたくない。特にやりたいことはないけど、とにかく、働きたくない。他の人が一生懸命働いているからお前も働けなんていうのはあまりにも勝手だ。ていうかそれだけ一生懸命働いて日本はまた金持ちの国になったけど、誰も幸せになってないししかも不景気になっちゃったし。窮屈で息苦しい日本のシステムから離れて、個人がお互いに干渉しないもっとお気楽なとこでリラックスして働こう。それとりあえず目標にしよう。そう思った…んだと、今思い返せばたぶんそういう感じ。

汗、夏、蚊

これは鉄板ネタとして言うとウケるので、人に聞かれると小話の一つとして言う話。小さい時から多汗症であせもがひどく、実家は電気代や冷房の害を気にしてエアコンをつけない家庭だったので、とにかく夏暑かった。蚊にずっと刺されていた。もっと空気がカラッとしてて寒くてきれいなとこに行きたかった。そして気が付けば、常夏の島で一年中汗をかきながら、蚊にさされる生活を10年以上している。なぜだ。

と、今日はこれぐらいにしておいてまた続きを。実際に日本を脱出してどうなったのか、っていうところを。

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