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SS【父の声】#シロクマ文芸部

お題「本を書く」から始まる物語

【父の声】(1469文字)

「本を書くんだもん!」
 そう言って泣きじゃくったらしい。私が幼稚園児だった時のことだ。

 父の大切なノートにボールペンでグシャグシャと書きなぐっていたのを見つかり、ゲンコツを食らった。
「本を書くなら原稿用紙に書け!」
 父はそう言って、翌日本当に幼稚園児の息子のために原稿用紙を買ってきた。
 その時に手渡された紙の感触はよく覚えている。老舗文具店の麗々しい包装紙に包まれた厚みのあるソレは、らくがき帳やチラシの裏とは全く別物の匂いがした。

「あなたったら、幼稚園の子にこんな立派な…」
 当然、母はそう言った。私は取り上げられないように包装紙に包まれた原稿用紙をギュッと抱き締めた。
「いいんだ。こいつは『本を書く』と言ったんだ。本を書くってな」
 父はなぜか少しうれしそうに見えた。褒められている?わけでもないのに、私はなぜか得意な気持ちになって大きく頷いた。

 本を書くことは、きっと立派なことなんだ…。
 幼な心に間違った観念が植え付けられた瞬間であった。

 
 …それから六十年。
 父母はすでに彼岸の人となった。
 そして私は作家ではなく、もうすぐ定年を迎える普通のサラリーマンだ。
 原稿用紙には今まで何度も向かってみた。しかし真っ白なマス目たちからの冷徹な眼差しに耐え、そこに文字を置くことはついぞできなかった。

 父はどう思っていたのだろう。私が大学生くらいの頃には既に諦めていたかもしれない。
 こいつは本を書くような立派な人間じゃない…。
 父からの期待に応えられなかった私は、自分をずっとダメな奴だと思い続けてきた。
 私は幼稚園時代の戯言から発した観念に縛られ、人生を棒に振ったのだ。


「定年後はどうされるんですか?」
 会社の後輩からそんなことを聞かれる。私に妻はいない。一人暮らしで大丈夫なのかと心配されているのだろうか。
「そうだなぁ。まぁのんびりするさ」
「本を書くとか、どうですか?」
 後輩の言葉にギョッとした。なぜそんなことを言う?
「先輩は、僕なんかへの話し方も丁寧で優しいし、ビジネス文書でもなんか他の人と違うんですよね」
 そんなことまで言う。
「お世辞だろ…。そんなこと初めて言われたぞ」
 平静を保ちながらそう返したが、動揺していた。忘れていた亡霊が現れたようだ。
「いえ、なんか…匂うんですよね。作家っぽい匂い。先輩はきっと書くと思うなぁ」
 後輩は無邪気に笑っている。女子社員からは天然クンなどと呼ばれているから、きっと他意はないのだろう。


 私はその晩、引き出しの奥から原稿用紙と包装紙を引っ張り出した。六十年の歳月を経て、どちらも茶色く変色し、端の方は破れている。
 久しぶりに机の上に置いて、それを見ながら頬杖をつく。懐かしい友達と会ったような気分だ。亡霊から友達に昇格だ…。
 ぼんやりと原稿用紙を見ていると、かつては冷徹な眼差しで私を見ていたマス目たちが、とても柔らかな視線でこちらを見ている気がしてきた。光のせいだろうか…それとも…。

 私はボールペンを手に取った。
 そしてなにも考えずに最初のマス目に文字を書いた。そして、二つ目…三つ目…。
 気が付くと、いつの間にかカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
 目の前の原稿は誰が書いたのだろう。働き者の小人か?いや…私が書いたのだ。

 百枚の古い原稿用紙は、隅々までみっしりと言葉で埋め尽くされていた。私は一晩で一本の短編小説を書き上げていたのだ。そして、まだまだ私の腹の底から湧き出ようとしてくるものがあった。原稿用紙がもっと必要だ…。

 その時、頭の中で声がした。うれしそうな父の声だ。

「おまえは『本を書く』と言っただけだ。立派でなくてもいい。楽しめ」


おわり

(2024/1/14 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました☆

いつその人のタイミングが来るかなんて、わかりませんもんね(*´ω`*)
ゲージュツはバクハツですし。とりあえず長生きしましょう。

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