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カイロンリターン・・・自分癒しの終焉④

カイロンと共に自分と向き合った時間。いろんなことに取り組んでみたのですが、その中でも好不調に関わらず毎日淡々と続けたのは「ジャーナリング」でした。「書く瞑想」と呼ばれたりもしていますが、やり方はとてもシンプル、日記を書くような感じで日々の心の動きやその日あった出来事を書いていきます。

毎朝コーヒーを飲みながら30分ほど、その日の朝の気分や体調、今日やろうと思っていること、ずっと気になって心から離れないこと、昨夜見た夢など思いのままに書いていく。特に時間もルールも決めずただ書く。時には1時間半くらい集中して書いていた日もありました。

日記は「この世界中で読者がたったひとり、自分だけという史上最小のメディア」でもある。読み返すことを意識して書くことはなかったけれど、少し時間を置いてから読み返してみると自分の心の変化が手に取るようにわかって、それも励みになりました。

自分の言葉で自分を前に進ませていく。

このやり方は書くことが好きで苦にならない自分にはとても相性が良かった。自分に向けて放つ言葉の端々には自分が自分自身をどうとらえているのか、自分をどう扱っているのかが素直に表れていて、自分の言葉にハッと驚かされたり、書きながら思ってもいなかった自分の望みに気付くこともありました。

幼少期の満たされなかった思いや喪失感に始まり、辛かったり傷ついたりした経験、悲しい別れ、表には出せずに我慢していた怒り、悔しさや羨ましさなど、ここには書けないようなこともたくさん書きました(苦笑)その他に楽しかった記憶、嬉しかったこと、幸せを感じたときのことなどもどんどん言葉にしていきました。書きながら思い出したり、思い出して書き出したり、自分の中に眠っていた感情や記憶が言葉とひとつになって自分の内から外へと解放され流れ出していくような感じでした。

そのプロセスの中で自分自身への共感力も養うことができました。共感力というと他者に対する気遣いや思いやりをイメージされることが多いと思うけれど、実は自分自身に対しても共感力が必要。自分の気持ちや言葉を大切にできなければ、相手の気持ちや言葉を大切にすることは難しい・・・当たり前のことだけれど、ついつい自分につらく当たってしまいがちだった自分を省みるいい機会でもありました。

書き言葉はその場で消えていく話し言葉と違って自分が納得いくまで何度でも書き直すことができる。そのときの感情にしっくり馴染む言葉を自分と対話しながら探し出していく。書き言葉の持つゆったりした時間の流れがいつのまにか自分を心の深いところまで案内してくれました。

そもそも「書くこと」に本格的に取り組み始めたのはカイロンリターンを迎える数年前、2019年の年明け。2020年春に迎えるプログレスの新月に向けて、内なる月がどんどん欠けていったこの時期、少しリフレッシュしたい気持ちになって、仕事以外で何か自分の作品を書くことにチャレンジしてみようとまるネコ堂の文章面談やゼミに通い始めたのでした。

書くことは自分ひとりでもできるし、それ自体に不自由があったわけではないけれど、言語、特に母語である日本語ともういちど出会い直したい、そんな気持ちが高まっていたときでもありました。普段何気なく使っている言葉についてこれでいいのかな?と疑問が湧いて来たり、言葉ともっと密に関わりたいと思い始めたのもこの頃でした。

当時は今よりもマメにTwitterを更新していて、そこでの交流も楽しかったのですが、あるとき文章を書いていたときにきっちり140文字で収まるように書くという癖がついてしまっていることに気付いて、ちょっと違和感を感じ始めました。このままでは息の長い文章が書けなくなっていくのではという不安も頭を過り、Twitterで求められがちな言葉の強さや切れ味の良さみたいなものに魅力が感じられなくなって、ただ反射的に言葉を扱っていくようなあり方に不自然さを感じるようになりました。ときおりタイムラインに流れてくる特定の他者を傷付けるような発言などが目に入るのも心地が悪かった。

このとき感じた小さな違和感、別に今のままで続けられなくもないけれど、何だかそれはしたくないな〜かと言って他にどうしたらいいのか先のことはハッキリとはわからない・・・このまま書くことを手放したくはないけれど、どうしたら良いものかと思い倦ねていたときにまるネコ堂とのご縁をつないでもらい、言語というものの持つ力に再び出会えたのは本当に良かった。

書いたものを丁寧に読み込んでフィードバックをもらう。そして、また書く。その繰り返しの中で自分自身の言葉とそこで生まれる対話がこんがらがった心を解きほぐしていってくれた感じがします。これまでもいろんなセラピーを体験し自分でも実践してきたけれど「書くこと」を通じて自分との対話を続けたことで自分と和解するような瞬間を味わったり、自分や周囲への愛情が深まっていくのが感じられるようになりました。また、読まれるという体験を通して自分を客観視することもでき、ただ書くことだけでは得られない視点の転換などもあって毎回学ぶことがありました。

自分との向き合い方や心の傷にどうふれていくのか、そのやり方は本当に人それぞれ。一方的に他者から与えられるヒーリング的なものでもなく、治療的な要素を持つ専門的な精神療法でもなく、ただシンプルに自分の心情を書き綴っていくことで自分が再生していくという不思議な体験でした。これは今も続けていて、これからどんな風になっていくのかは未知数だけれど、それも楽しみだったりします。

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