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マリーシアとイノセント

赤信号、みんなで渡れば怖くない…昔ビートたけしが流行らせたギャグだった。

今は赤信号を皆で渡れば、皆が平気で轢き殺される時代かもしれない。

関東へ単身赴任してから3年経つ。期間は1年と少し。幻の時間だった。

20年振りの独り暮らしに挑んだ期間でもあった。衣食住にも困らなかった。着る物は元々無頓着だから、仕事で着るスーツ以外はだいたいジャージばかり。

食もごく簡単なもの以外は買ってきて食べるか、外食していた。痩せたいと思わないなら苦にはならない。

痛勤電車に乗りたくないばかりに都心のオフィスに徒歩圏で通える場所にマンションを借りた。徒歩で15分も有れば着いてしまう便利な場所だった。

感染症騒ぎ前はほぼ毎日、大通りを歩いて通勤していたから、必ず赤信号で引っ掛かることになった。昼は交通量が多いから、信号の赤は守る…いや守らざるを得ない。

でも、何かしらの用で遅く帰る時にふと気づいたことがある。

全員が全員とは言わないけれど、夜の車の通らない赤信号でも、しっかりと守る人の多いこと多いこと。

それが普通だと言われるかもしれないけど、多分、関西なら無視して渡る人の割合は高いような気がした。

赤信号無視を推奨する訳ではないが、寒かったり、雨が降り始めで傘がない時なんて特に早く動きたくなる訳で、生真面目で遵法意識が高いものだと感心したものだ。

これは日本人の独特のメンタリティの顕われなのかな。ルールには従うことが普通だとしているのは清々しい。

でも、かたや、そこまで真面目にやらなくて良いのに…と感じるシーンも少なくない。もう少しマリーシアがあっても…と思ってしまう。

マリーシアは日本語に訳し難い言葉だ。日本人にはあまり馴染みがない概念、考え方だからだろうか。

マリーシアを知る人でも、決してネガティブな意味ではなく、文化によっては肯定的に捉えることがあることを是非申し添えておきたい。

イノセントは正直、誠実と訳されることが多い。でも、バカ正直というニュアンスは多分に含まれている

日本人と一括りにはできないが、やはり遵法意識は相当に高い民度があるのだろうと思う。

ルールを守る…これは大切だけど、ルールさえ守っていれば大丈夫という思い込みがあるようにも見える。

そして、そのルール自体がおかしいのではないかと考える発想も弱いような気がする。

繰り返すがルール違反を推奨はしない。

ただ、ルールが全体幸福のためでなくなったなら、ルール自体を変えることはごく自然なことだ。ルールがあるから…の前段階で何故ルールがあるのかのwhyに自然に行き着けば、思考は健全だろう。

マリーシアばかりでは、遅かれ早かれ根底から組織や人が崩れていく。

でも、マリーシアがまったくないイノセントが理想でもない。

全体秩序を保つためのイノセントと、曖昧の帯の中で使えるマリーシアを使い分けできれば一番良いとは思う。

でも、こうしなさいよとは、言いづらい。ロジックにし辛い部分だからなぁ…。