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ばあちゃんとブレックファースト

中学、高校の頃、朝食はばあちゃんと食べていた。

ばあちゃんも私も朝はパンとコーヒー。

たまにいただきものの和菓子や洋菓子を食べていたり、冬になると家でついた餅をストーブかトースターで焼いて食べていることもあった。

ばあちゃんはコーヒーにパンを浸して食べる。

私はパンはパンだけで食べる。

私が超絶反抗期だったため、ばあちゃんとの会話はほとんどなかった。

ばあちゃんに何かきかれたら「うん」と答える程度。

私があまりにも不貞腐れていたので、私とのコミュニケーションは諦めていた部分もあったと思う。

そのくせ、私はばあちゃんと同じ空間で毎朝一緒にパンを食べていた。

ばあちゃんはパンをきれいに食べきることはほとんどなかった。

食パンの時は必ず耳を残していたし、餅を食べる時も中途半端にかじって、残りはそのまま放置していることがあった。

なぜ、いつも食べきらないで放置しているんだろう。

ばあちゃんに問い詰めることは一度もなかったが、大人になった今、その一口を残したくなる気持ちはなんとなくわかる。


ばあちゃんはタバコが好きだった。

毎度のこと一口分パンを残したあとは、タバコを一本取り出しライターで火をつけ一服する。

タバコの煙が私の方にきてもおかまいなし。

一度も私に気を遣うことはなく、ばあちゃんはプカプカとタバコをふかしていた。


ばあちゃんは電話も好きだった。

電話が鳴ると走って受話器をとりに行く。

電話をとるのはばあちゃんの仕事だという暗黙の了解が松本家にはあり、ばあちゃんがとるまで誰も受話器をとることはなかった。

ばあちゃんが毎日のように長電話をするもんだから、電話代の請求が3万からそれ以上になることがあり、それに母親は腹をたてていた。


ばあちゃんが体調を崩し入院することになった。

入院して数日経った頃の深夜。

母親が私の部屋に叩き起こしにきた。

ばあちゃんが危篤状態だと病院から連絡が入り、私と弟と母親で病院へ向かった。

ばあちゃんの病室へ入り、ばあちゃんの意識はほとんどなかった。

まともに話せる状態ではなかったが、何か言葉を発していた。

私はばあちゃんの発している言葉をしっかり聞き取る余裕はなかった。

心電図が乱れはじめ、母と弟は心肺蘇生をはじめた。

心臓マッサージをするたびに、ばあちゃんの体が大きく揺れている。

今さらだが、しなくていいことをしてしまったのではないかと後悔している。

私たちはばあちゃんの肋骨が折れるまで心肺蘇生をやっていたのだ。

楽にいきたかっただろうに。

無駄に体力を使わせてしまったなと。

バコバコ胸を押されて苦しかっただろうにと。

心電図の波形がフラットになり、ばあちゃんの心臓が止まった。

私は人生で初めて人の死に目に遭遇した。


ばあちゃんがいなくなったあとは、一人で朝食を食べていた。

ばあちゃんがいつも座っていた席で食べる。

ばあちゃんの席から私が座っていた席を眺めながら食べる朝食。

ばあちゃんの席に座って食べる朝食は、パンを一口分残すことも、食後にタバコを吸うこともなかった。


ばあちゃんとのブレックファーストは、人生で一番、煙たい朝食になるにちがいない。


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