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素手でロケット花火を持つという強がり

お盆のお墓参りといえば、お墓で花火をするという風習が
私の故郷にはある。

お盆になるとロケット花火の音が、お墓からせわしなく
聞こえてくる。

ロケット花火の音はお盆の音だと言ってもいい。

幼き頃から、お墓で花火をするのが楽しみだった。

従兄弟のユウ兄ちゃんと一つ年下のたっちゃん、
そして、私と弟の4人で花火を買いに行く。

手持ち花火だけだと、物足りなさがあり、ロケット花火や
打ち上げ花火、爆竹といった派手さ重視のものばかりに
なっていた。

爆竹は箱ごと点火したり、打ち上げ花火も手に持ち、
頭上にかかげたりする。

危険なやり方だが、親戚のおじちゃんも
私たちと一緒になって花火をしていた。

ある年、親戚のおじちゃんの花火の扱い方に、度肝を
抜かれたことがあった。

素手でロケット花火を持ち、点火しているのだ。

きれいな直線を描き、空へ吸い込まれていく
ロケット花火。

ユウ兄ちゃんも、たっちゃんも同様に
素手でロケット花火を持ち、点火している。

『子供のくせに、なんだその度胸は』

という思いでその光景を見ていた。

まるで、根性焼きを見せつけられているようだった。

子供のくせに大層な度胸がある証(あかし)を
見せつけられている気がした。

『私もやりたい。度胸がある証を、私も示したい』

そう思い、私も素手でロケット花火を持っていた。

持つだけで手が震えている。

いざ、点火するとなると、それはそれは恐怖に違いない。

ほどよい力加減でロケット花火をつかまなければ、
手の中で花火が爆発してしまうだろう。

素手でロケット花火をつまみ、次から次に飛ばしている
親戚のおじちゃんの様子をよく観察していた。

表情も態度も余裕だった。

花火に点火されても、顔はこわばることなく、
余裕をかまし、待っている。

私はすぐに理解した。

絶対に力んではいけないこと、
リラックスした状態でいること。

この二点だ。

私もおじちゃんのように何があろうと動じない人格の
持ち主のはず。

素手でロケット花火を飛ばすことくらい、
なんてことないだろう。

私も度胸がある証が欲しい。

今年それができなければ、また来年のお盆まで悶々とした
気持ちで過ごさなければならない。

なにがなんでも今年の夏、素手でロケット花火を
飛ばして見せる。

そう覚悟し、再びロケット花火をつまんだ。

点火はたっちゃんにお願いをする。

いよいよ、私が持っているロケット花火に
点火されようとしていた。

緊張と恐怖で支配された私は、
完全に顔が強張っていただろう。

しかし、ここで力んでしまっては、
花火を飛ばすことができない。

リラックスすることだ。

おじちゃんのように余裕をかまして待っていればいい。

ついに、私が持っているロケット花火に点火された。

じわじわと導線が燃えていく。

導線が燃え切った。

ここからが本番、絶対に力んではならない。

そう思いつつ、力強く両目を閉じている。

怖かった。

しょうもない意地を張ったばっかりに、
自ら身の危険を冒そうとしている。

しかし、もう後戻りはできない。

無事、花火が飛んでいくのを願うしかなかった。

次の瞬間、

「シュッ!」

瞬足の音を立て、
花火は夕焼けの空に吸い込まれていった。

『やった。飛んだ・・・』

喜びと安心で満たされていた。

『素手でロケット花火を飛ばしたぞ!
度胸がある証を手に入れたぞ!』

すっかり要領を得た私は、ここぞとばかりに
素手でロケット花火を飛ばし続けていた。

なぜそんなことで意地になっていたのかわからない。

無論、その証が何かに生かされたことは
一度もないままである。


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