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「ラップランド旅行記・後編」2024年3月15日の日記

65-1

・滞在3日目。
日中は宿泊施設であるコテージの周りを探索。

・先述した通り、わたしが滞在した週のラップランドは、この季節にしては異常なほど暖かかった。寒さは感じるけれど、ヒートテックにセーター、厚手のコートを重ね着して歩いていれば帰り道では汗をかいてしまうくらい。

・どこまでも続きそうな空の青色と、太陽に反射してキラキラ光る雪の白が眩しい。1台のバスにぎゅうぎゅう詰めになっていたはずの留学生には、一旦外に出てしまえば誰ともすれ違わなかった。

・北海道とフィンランドの気候は似ていると聞くが、日本のスキーリゾートと違ってここ、キルピスヤルビはほとんど観光地化されていない。
最寄りのスーパーは1軒のみで、娯楽といえば散歩とコテージ内のサウナくらい。歩道は結構な頻度で隆起していて、少し脇道に逸れるだけでも先人たちの足跡を参考にしないと、足が雪の中にずぼっと沈みこんでしまう。

・この地球上に自分しか存在していないのではないか、と思えるほどの静けさ。真っ青な空に浮かぶひこうき雲だけが変化する壮大な自然を独り占めしているみたいで、充足感で胸がいっぱいになった。

バルコニーからの夕焼け

・夜は団体ツアーのオプションの1つ「Night Snowshoe Hike」に参加した。

・参加者はスノーボードのような特別な靴(雪に沈み込んだ時になるべく簡単に戻ってこれるように)と、GPSが内蔵されたライトを着用し、コテージの裏山的な場所を約3時間、計7~8キロほど歩く。天候が良いとはいえ、夜中に雪道を歩くのは思った以上に大変で、みんなに置いていかれないように必死に歩を進めた。

・20人ほどを誘導するガイドはいたものの、常に先頭を歩くというよりはソロの参加者に話を振ったり、大きな段差に苦戦する参加者をフォローしたり「道は自分で切り開いていけ!」的なスタイルだった。
ハイキングとはいうものの、方角さえ合っていれば構わないというざっくばらんな指導法から、雪山ハイクの面白さは自分たちが道を切り開いていくところにあるのではないかと学んだ。

・印象的だったのは、2つ目のチェックポイントで雪に寝そべり満天の夜空を眺めながらひたすら沈黙した場面だ。永遠とも思える5分間。
地面に横たわった瞬間、あれだけ大人数だったのにもかかわらず、隣の人の衣擦れの音が微かに聞こえてくるのみ。
ガイドの方が「スマホの光は一切出さない。暗闇を楽しむ」としきりに言っていたことも功を奏し、人工的な光が一切入ってこない。

・雪の上に寝そべっているのに、寒気は全くやって来ない。むしろ地面と自分、夜空との境界線がどんどんなくなって、暖かさを感じるくらいだ。
暗闇に目が慣れてきて、眼前に広がる星の数がどんどん増えていく。時折木々を揺らす風と、遠くから聞こえる鳥の声。
みんなで共有しているようにも、1人で独占しているようにも思えるこの感情を、住み慣れた日本の喧騒の中にいても思い出せるように大切に抱えた。

・自然に形成された雪の滑り台や一直線に並んで1番を競うレース、特別な靴を履いての歩行に慣れた終盤ではライトもスマホの光も持たずに星空の中を歩こうという提案、ガイドさんは色々な工夫をしてくれたけれど、静けさに包まれたあの5分間は最も忘れられない時間だった。

・歩き疲れた後のマシュマロは、身体の芯まで沁みるくらい美味しかった。

65-2

・4日目。念願だったハスキーライド(犬ぞり)に初挑戦!

・このハスキーパークでは、2人1組、運転側と乗車側の交代制で計20分ほどハスキーライドを体験できる。
犬ぞりは海外っぽいバスタブのような形で、4匹のハスキー犬が繋がれている。運転手は、スピードを出すときは端のペダルに足を置くだけ、減速したい時は片方、停車したい時は両方のブレーキを踏むという3種類の操作を使い分けながらハスキーたちを操縦する。
日本の運転免許証も持っていないのに、初の運転がハスキーライドなんて1年前は想像もしていなかった。

・わたしは前半は乗車側、後半は運転手側を体験した。
座っているだけで良い(強いて言うなら撮影係)乗車側とは違い運転手側の注意事項がたくさんある上に、出発前は血気盛んなハスキー犬たち(30匹はいた)が一斉に吠えまくるため、ワクワクとドキドキが半分ずつだったが、懸命に走るハスキーたちと清々しいほどの天気、壮大な景色と吹き抜ける風が心地よく、交代する頃には恐怖はすっかり消え去っていた。
運転手側はマルチタスクが多く撮影は禁止なのだが、立って乗車しているため景色の情報量が多く、わたしはむしろこちらの方が好きだった。

・体験を終えた後は、職員の方と質疑応答をしたり、ハスキーたちと触れ合う時間や仕事を終えたハスキーのリードを外し、家に戻すお手伝いをした。
職員の人たちは世襲ではなく住み込みのインターン生が多く、直近ではやはりコロナ禍による経営難に苦しんだという。
20分にも及ぶコースをハスキーたちはどうやって覚えているのかという質問に対しては、4匹のうちベテランの犬を先頭に配置して練習をこなすのだと話していた。

・働きバチを主人公に据えた百田尚樹さんの「風の中のマリア」や上橋菜穂子さんの「獣の奏者」など、未知の世界はそれだけで人を惹きつける力がある。ハスキーと共に暮らす職員さんの生活は実社会からかけ離れたファンタジーのようでいて、けれど確かなリアリティを感じ取れた。

・午後はコテージから徒歩圏内にある2つの湖を巡った。
フィンランドの国土の7割は森林と湖と知識では知っていたが、ラップランドにやって来るとますますそれを実感する。

雪に覆われた湖

・そして、本当に運のいいことに、オーロラを見ることが出来た。
2時間ほど頭上に現れ続けていたオーロラは、初めは携帯のカメラを通してしか見えなかったが、中盤では映画「君の名は。」に登場しそうなくらいまっすぐな一筋の光がくっきりと見え、15分もしないうちに再び雲に覆われてしまった。

・わたしが休憩を挟みながら観測した限り、もやのように一方向だけに広がるパターン、一筋にくっきりと延びるパターン、カーテンのようにはためきながら煌めく3つのパターンがあり、同じオーロラでも天候によって様相が目まぐるしく変わっていくのが興味深かった。

65-3

・5日目。ノルウェーのトロムソで1日観光。
撮影スポットとなっているフィヨルド(氷河の浸食作用によって形成された複雑な地形の入り江)をいくつか巡りながら、最終的にはトロムソで4時間ほど自由気ままに観光した。

フィヨルド

・しかし、ここでハプニングが。
ルームメイトのメアリーが携帯をコテージのそばで落としてしまったのだ(ちなみに彼女が留学に来てから携帯をなくすのはこれで2度目である)。

・わたしの携帯からiPhoneを探すモードに切り替えるも、基本の表示言語が日本語になっているため全てのメニューを英語で説明したり、携帯を見つけた人に表示するメッセージも英語版とフィンランド語版の両方を記入したりと中々もどかしい時間だった。

・バスの移動中、すっかり意気消沈した彼女とそんな彼女の前で呑気に携帯をいじっていられないわたし。行きの1時間はすっかりお通夜モード。しかし、さすがフィンランドとしか言いようがないのだが、2時間ほど経ってコテージのそばに立っているレストランの従業員からわたしの携帯宛に着信がかかってきて、一件落着となった。
何度も言うがフィンランドの治安は、日本と同等、いやそれ以上に良い。
落としたスマホが無事に返ってくるレベルで。

・トロムソは山あり港あり橋あり住宅街ありの、神戸を彷彿とさせるような場所だった。

トロムソ

・舗装されておらず傾斜が多い道はトゥルクの中心街と似ているが、大通りはフィンランドよりずっと観光地化されていて、みやげ物屋やオーロラ、犬ぞり、バイキングといった北欧諸国やノルウェーのイメージと結びついたツアーを扱う旅行代理店が多い。

・北欧の国々はどうしても一括りにされがちだが、言語のグループはフィンランドとそれ以外のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの2つに分かれており、後者はどちらかというとドイツ語に似ている(フィンランドはエストニア、ハンガリーと同じグループ)。
年明けに高校の同級生とスウェーデンを訪ねてからその美しい景色に魅了され、スウェーデン語のコースをDuolingoでコツコツ練習してきた甲斐あって、未知の言語も若干意味を推測できるようになっていた。

・トロムソの滞在で最も心躍ったのは、市立図書館に入館した瞬間だ。

・図書館は開放的な3階建てで、カフェのように配置された本棚と自習スペースがある。1番下の階が子ども用というのは北欧の図書館に共通するルールらしい。明るさと知的さが共存する、とても居心地の良い空間だった。

65-4

・6日目、最終日。
朝6時半に起床し、8時半にチェックアウト。
Levi(レヴィ)というフィンランドの行楽リゾート地に数時間ほど滞在した後、バスと電車をほぼ丸一日乗り継いでやっと家へ。

・ここでは片道約2分間ほどのゴンドラに乗って、フィンランドの先住民族サーミに関する博物館を訪問することに。

・そこまで広くはない屋内展示とサーミの生活を再現した屋外展示で構成されている博物館のチケットは、コップ一杯のフリードリンク付きで併設されたカフェで販売されていた。

・このツアー自体に申し込んだ際は、正直「本格的な冬の12月1月頃に行っておけば良かったかな…」と後悔の念も少なからずあったが、フィンランドの文化に関する講義を受講していたおかげで、展示内容に関しては一部知っている内容も含まれていた。

・しかし、サーミ人という集団の中でもトナカイと移住生活を続けるグループや独自の言語を保持しているグループなど、さらに4つに分類できるという事実と詳細な情報は初めて知るものが多かったし、携帯のような電子機器を持たないサーミの人々にとって出会いのきっかけが冬の終わりを告げる音楽祭など1年のうちに数回しかないという話はとても興味をそそられた。

65-5

・随分と長くなってしまった(それだけ充実した内容だったということでもある)ので、簡潔に今回の旅について振り返ろうと思う。

・まず、これまで外国に旅をした経験はあったものの、日本人以外との旅行は初めてだった。見知らぬ環境で、しかも5日間以上にも及ぶ集団生活を乗り越えられたのは、大きな成長の糧となった。

・また、目標だった「ハスキーライド体験」「オーロラ観測」の2つを達成することが出来た。
留学はわたしの行動範囲をぐっと活動的にしてくれた。ハプニングに見舞われることも多いが、全体的に人の縁にも運にも恵まれていると思う。

・一方で、これまでの自分の経験不足から、一歩を踏み出せず後悔することもあった。
ルームメイトたちの間で交わされるヨーロッパトークに、諦めず喰らいついていたら。発することのなかった言葉にも言うだけチャレンジしていたら。
スキーができるようになっていたら。
その他のアクティビティについて、もっと下調べをしていたら。

・団体ツアーは皆でお金を出している分、もっと遠くに、豪華な場所に滞在できる。その一方で、どこまでも自分の思い通りにいくわけではないし、自分の気分や力量で満足度が大きく変わる。

・何かを経験するというのは、自分にでこぼこを作ることだと思う。
隙のないパズルのピースは、どこにも当てはまらない。
接点が多い人はそれだけ、誰かと交流を図る手札を多く持っている。

・留学終了まで残り2ヵ月を切ってしまった。
日本にいる大切な人たちに会いたいという気持ちと、もう終わってしまうのかという焦りがない交ぜになっている。
全力で帰国後の生活を楽しむため、最後まで、何事にも素直に、誠実に。


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