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盲点を見つける

 どれだけ気をつけていても、見落としは必ず生まれてしまいます。
 気をつければどうにかなるという問題ではなくて必ず生まれるものです。できるかといえば、絶対に無理なものです。それを感じた日々でした。

 スマホがようやく手元に戻りまして、その便利さを噛み締めております。
 ただ、このなかった期間にどうしても電話しなければいけない機会がありました。そこで、数年ぶりに電話BOXに入りました。密室と見せかけて、通気口があるので外の音がばっちり聞こえて話しづらかったです。

 それはさておき、あなたは近所のどこに電話BOXがあるかを把握していますか? 駅などの公共施設にはありますが、それ以外の往来でどこにあるでしょう?

 意外とわからないのではないでしょうか?
 少なくとも僕はパッと思いつきませんでした。けれど、探してみたら家から徒歩で3分の場所にありました。しかも、それは毎日のように通っている場所でした。

 慣れ親しんだ場所にあり、ましてや見落とすほど小さいものでもないのに、僕は電話BOXの存在をこれまで見落としていました。
 自分に関係のないと感じていることは、視界に映っていても、見落とされてしまう。

 ルビンの壺というのがあります。白と黒で描かれた壺の絵があるのですが、その背景に目を向けると2人の向き合った人の顔が浮かび上がってくるという錯視の絵です。
 ここで大事なのは、両方を同時に見ることができないということです。壺を見れば顔は見えず、その逆もまた然りなのです。つまり、1枚のコインの表と裏を見られないのと一緒で、なにかを見れば必ず盲点が生まれます。

 そして、そのある地点から見えない盲点によって僕達はしばしば問題にぶつかるのだと思います。

 だから、物事のバランスを取って、断定せず、色んな視点から物事を見ることが大事だと常々考えています。その手段の1つとして、自分に制限を設けてみることが有効だと今回のスマホのない生活を通してわかりました。

 便利さを享受しているうちはその便利さに気づけない。
 だから、便利さを制限してみることで、その本質に近づくことができるのでしょう。スマホを封印する日を1月に1回くらい設けてもいいかなと思ったのでした。

 

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