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7年続けてみて「続けることについて」考えてみる

 7年という歳月をかけて、1つのことをやり続けてきました。紆余曲折ありましたが、自分が1番最初に目指したゴールには辿り着きました。
 これまで折に触れて、振り返りを書いてきました。今回、その最終稿を書きたいと思います。

 僕がやってきたらくだメソッドについてはこちら↓

 話題が幅広くまた長くなるため、「学ぶことについて」「続けることについて」「全体の総括」の3回に分けます。2回目は「続けることについて」です。

問いを産む継続

 継続や習慣についての本・記事はたくさんあります。「やり続けること」にそれだけ多くの人が関心を持ちながら、方法論が集約されていかないのは、どれも一長一短で継続したい人々が一筋縄ではいかないと感じているのでしょう。どんな目的のための継続によるかによって、アプローチの仕方も随分変わってくるでしょう。
 たとえば、仕事でなんらかの成果を得るための継続であれば、そのために必要なデータを抽出して、それが上がっていくための試行錯誤を繰り返すことになります。

 しかし、アンラーニングのための継続はどうすればいいのでしょう?
 今あるものを手放していくのですから、数値的な意味でいえば、「こんなことをしなくなった」とカウントすることになります。減少する数字を追いながら、モチベーションを保つことは困難です。もちろんらくだメソッドでは、1日1枚をやっていくわけですから、単元としては進んでいきます。学力もついていくでしょう。しかし、成人した大人がやる学習においては大きな意味は見出せません。

 だから、あまり期待せずにとりあえずやると決めて続けていく。すると、続ける中で疑問が生まれます。

 自分は一体なにをしているのだろう? なにがしたいのだろう?

 この疑問に辿り着けることが僕は大事だと思っています。
 仕事だから。友達だから。家族だから。知らぬ間に思考がパターン化されていて、なんとなく折り合いがつけられそうな理由さえあれば、本来しっかり考えなければいけない事柄もすり抜けていきます。
 プリントを続けていくことは大した意味はないように思えます。
 しかし、何事も継続していくことが大事なのです。続ける中で、僕達はその意味や動機を考えざるをえなくなります。

 たとえば、毎日30分歩くとしましょう。始めて間もない頃は、新鮮さもありますし、抵抗もありません。しかし、数ヶ月、1年と続けていけば、「なんでやっているんだっけ?」と思う瞬間が必ず出てきます。
 しかも、それは得てして疲労や飽きを感じている不調な時です。
 問いにぶつかり、考えていくことで、自分の思考の解像度が上がり、転機が訪れます。

 僕自身らくだメソッドの学習を続ける中で、何度も壁にぶつかりました。ほぼプリントに取り組まない期間が繰り返し起こるので、流石におかしいと思いました。
 僕はその時に、「なぜできないんだろう?」と自問しました。まるで不可抗力のように言っていましたが、考えを進めていくと単に「やらなかっただけ」だとわかりました。
 忙しかったとしても、1日10分程度の時間も用意できないはずはありません。どれだけ上手い理由を並べても、全部言い訳です。

 自分の欺瞞に気づいた時は、とても恥ずかしく、惨めな気分になり、塞ぎ込みました。

 このように、起こる変化は必ずしも本人にとって良い変化ばかりとは限りません。自分の欠点や課題が明らかになることで、より不調に陥ることも珍しくないです。
 それでも長期的な視点でみれば、自分の浅ましさに早めに気づいて良かったと思います。課題が明らかになれば、それを解決する方法も見えてくるからです。

 だから、なにか継続する行為そのものに、すごい力が眠っているのです。

ただやる

 ただし、目的を持って継続をしない方がいい。
 正確には、そうした継続はあってもいいけれど、それとは別に報酬や罰とは無縁の継続を持っておくことが、僕達を豊かにします。

 明確な目的があると、どうしてもその目的に縛られてしまいます。すると、奥行きと広がりは乏しくなります。

 上記の例でいえば、「とにかく取り組めるようになること」が目的になってしまうと、「プリントをやったorやらない」だけが焦点になってしまいます。それでは、外に原因を求める自分にはいつまで経っても気づけなかったでしょう。

 はっきりとした目的を定めないからこそ、予期せぬ発見が訪れ、影響があらゆる場面に波及していきます。ともすれば不毛で無駄なことに取り組む中で、違和感と疑問を抱く。それが変化のきっかけになると共に、軸になっていきます。

 軸を持つというと、どんなことがあってもぶれない軸と思われることが多いです。僕は崩れないのではなく、崩れてもすぐに戻れることだと考えています。
 好調の時には当たり前にできてしまうのだから、軸だなんだと考えるのは不要です。軸を必要とするのは、むしろ逆です。不調や違和感を抱えて、首が回らない状況に陥った時に、立ち返るためのホームポジションが必要になるのです。

 これを読んでいるあなたは、立ち返る自分軸を持っているでしょうか?
 心当たりがある人は心身ともに安定しているのでしょうが、意外と思いつかない人はいるでしょう。それを日頃から用意しておく。そのために継続をしていくのです。

 1年後は違うかもしれないですが、少なくとも今の僕はそう思っています。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。