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肝をつかもうとして、霞をつかむ

 昨日、遊びの中でディズニーのミッキーを描こうとして、全然描けない自分がいた。それはネズミにすらも似ていなかった。その時は爆笑で済んだけれど、じわじわと悔しさを覚える自分がいた。

 それとは別件で、先日グラレコのれんしゅう会を開催した時にも同じような話題があった。その時はコアラを描こうとしていて、「どうすればコアラっぽく見えるか」と描きながら話し合っていた。
 しばしば似顔絵で、芸能人の特徴を誇張化したものがある。本物とは違うはずなのに、その人を連想させてしまうのだ。似顔絵の上手い人というのは特徴をとらえるのが上手なのだ。

 別に絵に限った話ではなくて、今日ワークショップの進行の話をしていた時に、いかに肝をつかめるかの重要性を考えさせられた。
 簡単に言うと、いかに情報量や言葉を少なくできるかという話。
 その瞬間に必要な情報を、的確な言葉で提示する。
 出鼻で躓くと、焦って言葉を重ねようとするのだけど、大体の場合それは失敗する。なんでかというと最初のボタンを掛け違えているのだから、その上下のボタンをつけたとしても全部ずれてしまっているというわけだ。
 だったら、もう仕切り直した方がマシなのかもしれない。

 で、結局のところ自分の話していること、やっていることの肝がわからないままだと同じ失敗は繰り返されてしまうのだ。それを防ぐために、まず見ること聞くことを意識してやらなければいけない。

 ただ、それだけでは不十分なのだ。その前提の上で、確かめなくてはいけない。
 ドラえもんを見て、ドラえもんかそうではないかを僕達はすぐに認識できる。でも、描けと言われると途端に頭を抱えてしまう。
 話の流れでもそうで、人の話を聞いているうちはいいのだけど、自分が喋る番になるとしどろもどろになった経験がないだろうか?

 自分で思っている以上に、その物事における肝をわかっていないことが、確かめて初めてわかるのだ。ピントがずれているからで、そのピントを合わせるためにはやっぱり訓練を重ねていくしかないんだろう。

 僕がここ3ヶ月ずっとやっているグラレコの筋トレも、そういう肝をつかむための訓練になるのだと最近になって気づきました。

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