傷口がガラ空き
noteで記事を読んでいると、ちらほら病んでいる記事を見かける。僕自身も色々あった口から、書けば少しだけ気分が楽になるという気持ちはわかる。
けれど、そうした人達が「私自身が辛かったから、同じような境遇の人の助けになりたい」と言葉にしているのを見ると、胸が締めつけられる。
自分が辛かったから、誰かの助けになりたいという時に、本当に相手のことを考えているだろうか?
その人が助けたいのは、相手じゃなくて自分自身じゃないだろうか?
だって、同じような体験をしていても、別人だからその気持ちをわかってあげられるわけじゃない。
たとえば、いじめられて引きこもりになった人がいて、苦労して復帰したその人が「引きこもり支援」をしたいと言う。けれど、引きこもりの中にも様々な理由があって、全く別の理由で引きもりになった人の気持ちなんてわからないだろう。
究極的に言えば、他人の気持ちなんてそもそもわかりっこない。
僕はそう思っている。
もちろん全てがとは言わない。ただ、「自分と同じような境遇の人を救いたい」と口にする時、救いたいのは自分なんだ。そこに囚われているだけに過ぎない。
他人の中に自分を重ねて、手を差し伸べることで、折り合いをつけようとしている。誰かを手助けすると自分の傷も治ったような気がするから。
けれど、現実に自分の傷は治っていないので、やがてまた傷口がうずき出す。だから、また次の怪我人を探し始める。
端から見ていたら、軽症者が重傷者を治療しているようなもので、あなたも早く自分の傷を治しなさいとしか思えない。実際にそう伝えても「私よりも酷い人がいるから」と聞き入れない。
そうやって、開いた傷口からゆっくりと血液を失い、ある時倒れてしまうんだ。
本当は誰かに気づいてほしいだけなんじゃないのか?
自分がしてほしいことを、誰かにしてあげているだけなんじゃないの?
ところがどっこい、自分にしか治せない傷もあるのだ。少し立ち止まって、自分の傷口とちゃんと向き合わないと治すものも治せない。
本当に自分の中で消化できたのならば、そのことはもう興味がなくなってしまっているはずで、過去の体験のことなど考えなくなっているはず。
未だに、頻繁に思い出すということは全く処理できていないってことだ。傷口はパックリ開いたままだよ。
ちゃんと自分を癒してあげればいいのにと思う。
「昔は」なんて、過ぎ去ったこのように語るのは嘘だ。
今だって、自分を救いたいんだ。だったら、ちゃんと自分のヒーローになってあげればいいのに。
いくら他人を救っても、その時の自分が救われるわけじゃないんだから。
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