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ルールはなんのためにあるか?#13

 インタビューゲームには大事な大事な3つのルールがある。
 これがあるからこそ、たった20分間で相手と踏み込んだコミュニケーションができると言っても過言ではない。

①なにを聞いてもいい

 僕達の普段の会話にはたくさんの暗黙の了解がある。
 例えば、身体的な特徴についてはそうだし、差し障りのない話から始めなくちゃいけないというのもそうだろう。
 その他年収や性的嗜好など避けるべき話題のようなものはたくさんある。
「あなたの年収いくらですか?」
 出会って間もない人にそんな質問をしようとは、まず思わないだろう。

 しかし、インタビューゲームではこうした暗黙の了解を一切気にしなくていい。聴き手は本当になんでも聞いていい。聞く自由が保障されているのだ。

②話したくないことは話さなくていい

 しかし、なんでも聞いていいからと言って、答えたいかと言えば別問題だ。
 誰にでも秘密にしたいことの1つや2つあるだろう。

 だから、話し手は質問に対して、答えたくなければ答えなくていい。「それは話したくない」と率直に伝えていいのだ。つまり、話さない自由が保障されている。

 一般的に条件が課せられる時には「〇〇しなければならない」「〇〇してはいけない」という断定的な語調の言葉が多い。
「〇〇しなくてもいい」という曖昧な条件は、明示的に決められていることはほとんどない。それらは個々人の裁量に任せられている。

 それがあえて明文化されているのは、聴き手と話し手のバランスが取れないからだ。聴かれたことには答えなければいけないと話し手が思っていたら、関係性が対等でなくなり、聴き手の尋問のようになってしまう。

③聞かれてなくても話していい。

 質問に対して答えるだけだと、しばしばお互いにとって息苦しくなる時がある。
 例えば、質問が思い浮かばなくなると、延々と沈黙が続くことになる。あるいは、話をしていると、思いつくエピソードがあって、大なり小なり質問から脱線することがある。そうした脱線ももちろんOKなのだ。

 これは、話し手に話す自由を保証しているのだ。

お互いが自由であるために

 3つのルールを見てもらうとわかると思うが、このルールは縛るためにあるのではない。お互いが自由に振る舞うために存在するのだ。

 しばしばルールは鬱陶しいものだ。たくさんあればあるほどに鎖として巻きついて、身動きがしづらくなる。

 けれど、逆にルールがなかったらどうだろう? 
 突然なにも言われずに、どこともわからない草原に投げ出されたら、おそらく困るはずだ。際限のない自由は、時に人を不安にさせる。だから、最低限の囲いだけは用意して、あとは各人が思うままに過ごせるような環境を作る。
 そのためのルールなのだ。

 だから、このルールを確認するのとしないのとでは、まったく別物のコミュニケーションになってしまう。

なぜ聞かない自由は保障されないのか?

「聞く自由」「話さない自由」「話す自由」これだけ保障されているのに、1つ保障されていない自由がある。

 それは「聞かない自由」だ。

 単に、聞かない自由を保障してしまったらインタビューが成り立たなくなるというのも1つ理由ではあるだろう。

 けれど、僕達はなぜか知らないままに、「聞かない自由」だけはいつも行使しているのだ。質疑応答の時間があっても、「特にないです」と言ったりそのまま黙り込んでいたりする。

 だからこそ、聞かない自由を保障しないことで、相手へと向かおうとする姿勢を促しているのかもしれない。

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