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10/3 自分の人生を生きられないという病

という本を手に取った昼下がり。

朝の仕事を終えて自由の時間を得た今日は、ご飯のあとに歩いて図書館へ向かった。直方に住み始めて2年が経ったが、図書館へと足を運んだのは初めてだった。

本好きゆえ、新品中古問わず本屋にはよく行っていて、いろんな本を読んできたが、初めて出会う本、興味をそそる本ががたくさんあって、とても楽しかった。

そのうちの一つがこの『自分の人生を生きられないという病』という加藤諦三さんの本だった。

印象的だったのはこの一節。

「非生産的人間は、空虚な自己を恐れ、常に自分を満たそうとする。自己欺瞞と補給に囚われ、喜びや創造性や豊かさをつかめない」

P7 はしがき

これまでの自分の人生が端的に、そしてとても的確に表現され(すぎ)ていて、思わず吹いてしまった。

これまで自分は、人からもらうことばかりに関心を置いていた。
どうしたらもらうに値する人間なのかばかり考えていた。

なぜそうなのか。
それは、空虚な自己を恐れていたからだ。
学歴や肩書き、資格といったものを持っている自分に価値を置いていたが、その鎧がなければ、中身はカスカスの自分であることを知っていた。
知っていたけど、そんな事実はみたくなかったし、どうすればそこに身が詰まっていくのかもわからなかったから、相変わらず自分の価値の証明を外側の何かに求め続けていた。

自己欺瞞と補給。
もはや美しさすら感じる。

大いに囚われていたと思う。
結果として喜びも豊かさも掴めない、心の貧しい人生を送ってきた。

この反対の人間は、字の如く、生産的な人間だ。
理性的で、自発的で、想像的で、愛情のある生命なのだという。

希望なのは、

誰もが美人に生まれるわけではないが、誰もが生産的になれる。(中略)
「生産的であるということは、他人の生産性を害することなしに、自分自身のポテンシャルを生み出すことである。」

P5 はしがき

という点だろう。

はしがきの時点で、こんなに心を掴まれることもそうない。

そんな本と出会えたこともさることながら、そのままいった河原で、読書をし、チャクラを整えるヨガを一緒に楽しめる相手がいた今日という日もとても幸せだったなと感じる。

思えば、彼女は、とても生産的な人だ。
だから人が集まってくるし、隣にいても、エネルギーを感じるのだろう。

旅をしていた頃、神社によるたびに、
「人間パワースポットになります」と宣言していたことを思い出した。

まさかその極意を学べる相手がこんな近くにいたとは。

もちろん能力が違うのだから、そのポテンシャルの発揮の仕方は、彼女とは異なる。
しかし、自分にあるその価値を認め、生かしていくというスタンスに関しては誰もが同じだ。

まだ目次にしか到達していない。
この本にどんな学びと気づきがあるのか楽しみだ。

読みながら寝るとしよう。

おやすみ。

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