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記録係

いつからか将来やりたいことってのは、好きなことに加えて、お金にならないといけないという寂しい条件から逃れられなくなってしまった。

そんなことを考えていると自分からどんどん遠ざかっていってしまうようで、頭を使えるようになった自分を少し恨むような哀れに思うような、大人でいることのどうしようもなさにうな垂れるような、とにかくあまりわんぱくでいられなくなってしまう。

それは虚しくもあり、また、成熟した自分に少し胸を張りたくもある。人生、やっと25年。


ある時、一枚の写真を見た。
それは明治時代の商人の写真で、自身の髷を断つ直前に撮影されたものだった。彼は自分の髷姿を残したくて写真を撮ったんだそうで、そんな愛らしくて洒落た彼の願いが、写真の横に小さく書き添えられていた。

彼がその願いを心に秘めたままだったとしたら……きっと知る由もなかった150年前の願い。

彼と僕の間に横たわる途方もない時間が瞬時に溶け去って、その日、その時点に浮かんでいたはずの彼の想いをダイレクトに感覚する。
時間は確かに不可逆だけれど、人の気持ちとか想いっていうのは、結構簡単にロマンたっぷりの時間旅行をしてみせるんだなと、今更こんなことに感動してしまった。


こんな感じの写真だった(こちらは山岡鉄舟さん,PD)


そして、それと同時に、今を生きる人たちもいずれみんないなくなってしまうのだという実感が質量を伴ってのしかかってくる。

たった100年か200年後、今日呼吸をしている人は多分1人も宇宙に残っていない。(医療とかの劇的な進歩がない限りは)

今この瞬間に世界のどこかに浮かんでいるであろう、優しい想いや美しい視界、ワクワクする思いつきなんかは、みんながいなくなったらもうお終い。退場。お疲れ様でした!!


仲直りのためにお花を買って帰ろうと思いついた時や、意地の悪いおじさんにぶつかられた時のモヤモヤ。
「カーテンってこんなに部屋の雰囲気変わるんだ!」みたいな発見や、
本屋の店員さんと交わした少しの会話が嬉しくて、その日の午後いっぱいは頭の中で繰り返し繰り返し反芻したりする時。

初めて降りた駅、午後の日差しが金色に眩しくて、なんとなくカメラを向けてみるだとか。

ささやかでも、確かに人生を形作る一人ひとりの思い出や心の動きなんかが、どこにも保存されぬまま静かにその息衝きを終えることが、自分にとって1番悲しいことだと知った。


何が言いたいのか

そんな悲しみから自分を守るため、そして今同じ時代を生きる人たちの営みを保存し、地球に繋ぎ止めておくため、『記録係』というメディアみたいな小規模な出版みたいな事を始めてみます。

たいそうなことを言っているけれど、いろんなことを文字や写真にして、いろんな形で取っておくということです。
そしてそれをカテゴリやジャンルごとにラベルをつけて別々の引き出しにしまっておくような感覚です。

似たようなことは既に図書館や美術館など、公的な機関が立派に仕事を果たしています。
彼らが保存するのは、後世に残すべきだと価値を認められているものがほとんど。
そうではない、些末な思い出や取るに足らない出来事もとっておける場所になれたならいいなと思います。

手始めは「記録係」を屋号とした自分の記録や本、雑誌の制作。
いずれはより多くの人に届けられるように、より長く残せるように、ゆっくりと大きくなっていきたいです。

残し方は色々で、基本的にはフィジカルな印刷物、そしてこのnoteやwebサイト中心になりそうです。

小さい頃から「やりたいこと=なりたい職業」の図式が漠然と存在していた自分にとって、何の職業でもないこの結果は予想外だけれど、
とりあえず自分の意思を尊重し、お金とは少し関係ない部分でやりたいことの実現を目指してみることになります。


色々言っているけれど


ここは、純然たる記録と記憶の在処です。





文:徳武周平
ロゴデザイン:Yusay Watanabe

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