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2024年の始まりは、こと日本においてはとても苦しいものになっています。
能登半島の地震、航空機事故。被災地の支援に向かう飛行機だったなんて、あまりにも胸が痛く、視界が滲みます。



日増しに増えていく被害者の数と安否のわからない人たち。
今も食料のままならない、暖のとることもできない場所で、いつか来る助けを待っている人がたくさんいて、同日同時刻にはいつも通りのお正月を過ごすことができる環境が車で数時間の場所にあって、この違いが一体なんなのか、考えれば考えるほどそれはきっと残酷な答えにしかいきつかないから辞めようとして、

被災地の状況はとにかく情報が入り乱れてうまく想像ができない。
こんな大きな災害だとは思っていなかったのが本音だし、道が絶たれ隔絶されている場所があったり、8割の家が倒壊した街があったり、支援の届いていないところもある。現場はもっと混乱しているだろうしみんな不安の中懸命に生き抜いているはず。

僕の周囲の人たちに限っては、ほとんどが被災地から離れたところに住んでいました。
それぞれが手の届く範囲でできることを模索したり、
自分が暖かい場所でお正月を過ごしていられることにもどかしくなったり、
それでもなんとか努めてこれまで通りの日常を送ろうとしたり、
とにかく皆、この一連の不幸とそれに対するやるせなさを、心の中のちょっと広めの空間に置き残しながら生活をしています。

力になりたいのに、なれない。力になっている自信がない。
そんな、力の小さな一人一人の苦しみすら、被災した方たちには届かないし、届いたとして気持ちなんてただのエゴかな、とか。(千羽鶴はいらない、みたいな議論と少し似ている。物量として支援に貢献できている実感がないから、想いを届ける、気持ち、応援、祈り..etc)


幾許かの募金をしたらあとは待っているだけなのか、
本当にできることは全てやりきっただろうか、
こういった「いてもたってもいられなさ」みたいな時間と感情が、
想いを、祈りを生んだのかもしれない。



募金をしようにも、どこにお金を預けたらいいのか、悩みに悩んでとりあえずYahooにしました*。

*そのあと、義援金(被災者に直接届くお金)と支援金(集めた人が使い道を決めるお金)の違いを知りました。
義援金、義援物資はもれなくまっすぐ届くみたい。


力なき者たちの祈りは、透明な道を通ってまっすぐそのままの形で被災地や戦地には届くことはほとんどない。
必ず力のある企業や団体の力を借りる必要があるんだけども、
なんだかこの力たちを信用しきれないんだな。
昔、被災者のための募金を自分たちの活動費にしちゃった団体があったり、どこか中間の誰かが奇妙に得をする仕組みになっていたり、
ともかく力を通すと、みんなの透明な想いが屈折してしまうような気がして。

考えすぎなのかもしれないし、まあどこかには100%純真なところもあるはず。それに多くのお金を預かって寄付をするなんて、並の信頼じゃできないことで、それを実行している人たちはやっぱりすごいはず。

けれど、少しでも前述したような恐れが存在してしまっていること自体にやはりがっかりするし、力がない自分を嘆くほかない。

そして、災害の地や戦地に向かって祈る時、自分の無力を悲しむだけでなく、どうしたって力ある者たちの不甲斐なさにこっちが惑わされないといけないんだっていう。怒り。やり場のない。



僕の場合、本やものを作る動機として、敵という存在が非常に大きいと認識していて、その敵というのはつまり(差し当たってのものではあるけれど)権力とか社会とか構造とか巨大資本とか、そういった怒りのやり場が見つからないくらい大きなものたちばかりなんです。

(じゃあ社会への提言や批判ばかりを形にするかと言ったらそういうことでは全くない。むしろ全体社会の形は変えないようなものばかり。別に真正面から対立した作品だけが敵に対する抵抗になりうるとは思っていない。ただ、一人一人の小さなの社会にとっては、少しだけ効き目のあるスパイスでありたい)

あまりにも非日常的な光景である余りに、想像がゆき届かないくらい凄惨な戦争に心を痛めても、頼みの綱である偉い人たちが利権だなんだってちっさいことでばかり争っているニュースを見ないといけない。
僕たちを実体のないものに向かわせて、人生を消費のサイクルに閉じ込めようとしてくる社会構造と、その加速装置としてのメディアの存在も然り。


SNSで、災害時にすら混乱に乗じて小銭稼ぎをする人々がいるのも、
身を売ってハイブランドを纏う少女たちも、
悪口や中傷ばかり振り撒く人たちも、
彼らも皆一様に、前述したような、より大きなものの犠牲者なのではないかと思ってしまいます。

非常にやるせない。
むかつくし。

子どもを守らない教師や学校、
自分のお財布最優先の政治家たち、
中抜き、既得権益、そんなずるい言葉ばかり増えていく。
クリーンな報酬であるはずのお金が、カネとして悪徳の象徴のようになっていったのはこういう奴らのせいなわけでしょう。
そんでこれは今に始まった問題じゃないし、誰もがそうだとわかっていても、それでも変わらないものでもあるわけでしょう。


テレビの前でぷんぷんすることしかできないし、それをテレビから知ることすらも皮肉に聞こえる世界だし。
みんなでぷんぷんしたら何かが変わるのかしらん。


そんな強大な敵に対してできることは、
小さな小さな抵抗として小さな小さな力を集めて形にして残すこと。



今回の地震により亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。
未だ救助を待っている方々の命が1人でも多く、できる限りたくさんの命が救われますように。



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