だいたい4ヶ月前のある日の日記
カメラロールを遡っていくと、見慣れないというか、身の丈にあってない場所の写真があった。
4ヶ月前
その日は確か雨で、ズボラな人なら傘はいらないと判断するくらいの雨。
と思って油断していたらしっかり降り出したから傘のレンタルサービス的なので借りた。
学大前でいくつかの用事を済ませて、下北沢の少しはずれにあるバーに行く。ここは好きな写真家さんが行っていたから知った場所。
どうやら中に小さなギャラリーがあって定期的に展示が行われているみたいだった。
展示を見にいくという名目があれば、それが自分の居場所を作ってくれる。常連さんだらけとか、思いもよらぬハイソな空間だったりとか、とにかくアウェーな場所で自分だけが浮いた存在にならないためにも、名目ってのは必要なんだよなあ。
情けない!
google mapをみながら目的地につくと、看板らしきものも何もない。
ただ剥がれ掛けのエメラルドに塗られた大きな木の扉がある。両開きで、中世のお城にあるような感じのやつ。扉というよりも、門か。もん。
平日だけど下北沢はカラフルな髪色で賑わっていて、あの若々しい人混みを抜けた先にこんなに重たい年老いた門があったなんて!とびっくりした。
入り口の両脇には朧げながら憲兵が見えてくるようで、少しくたびれた格好の自分はお呼びでなさそうだ。何か言い訳を見つけて帰ろうとしたのを覚えている。つまり、今の僕にとってここは背伸びしなきゃノックできない扉だと、身体のどこかが判断したようだ。
散歩が好きな僕は割りにいろんな場所に繰り出すけれど、飲み屋さんにふらっと立ち寄ることに対して異常に高いハードルを設定している。
シノワズリライクな典雅なお店、ひどく狭くて素敵なバー、地下へと向かう階段の先には絵本の国にあるような小さな小さな木の扉があって……
どこもいきたい。いきたすぎる。外から眺めているだけなのに、心のどこかに微かに感覚する、ここでしか味わえない気分。
でも行かない。
次に友達に会った時は「この通りにこんな感じのいいお店があったんだよ」と、僕は報告するでしょう。行ってはいないからね、存在の報告に留める。
なぜ行かないのか、どうして行くことができないのか。理由はよくわからないけれど、飲食店って、入ってみて「違う」ってなった時に逃げられないからかなァと睨んでいる。
門前に佇む僕に話を戻すと、帰ろうか、いや帰るまいかという頼りない逡巡のあと、えいやと扉に手をかけて、力一杯引いてみる決心をしていた。
とりあえず展示を見て、一杯飲みながら感想を伝えることくらいならできるんじゃないかな、自分。いつまでもいきたい店を増やし続けているだけではダメなんじゃあないの!自分!
ここ最近の中では、かなりの一大決心である。
まさに「ギイイ」という音と共に暗い店内と揺れるキャンドルの火がチラと見える。
確か入り口からすぐのところに小さな写真集や雑貨が置いてあって、まずはそこを居場所としてしばらくの間それらをぼんやり眺めていた。
店内はわりに広く、カウンター席数席と、小さなテーブルを囲んだ数席、そしてバーカウンターに背を向けた席があった。
とりあえず一安心。場所がいっぱいある。
空いている席に荷物を置くと席のところまでバーテンの人が来てメニューを見せてくれる。
アルコールと迷ったふりをする小芝居の後にコーヒーを頼むと、お店の人が店内の色々な活動を案内してくれた。
こうなってしまえばここはもうホームグラウンドと言いますか、景色がさっきよりもはるかにクリアに見えてきて、温度もグッと心地良くなる。
光もこんなに明るく優しかったんだな、といった具合にどんどんこの店が好きになってくる。
お店には天井まで届く大きな本棚がいくつかあって、そこにある本は無期限で借りることができるんだって。またくるための口実が欲しいから喜んでレンタルした。森山大道の遠野物語。
店の奥に石の壁で囲われたスペースがあってそこが人2人入れるくらいの小さなギャラリーになっていた。
床や壁にみっちりと作品が並んでいて、名目とか考えていたのが失礼すぎるくらいに素晴らしい展示だった。
お店の人と写真とかについて喋っちゃったら、なんだか有頂天になっちゃってジンかなんかを頼んじゃった気がする。
赤くなってもお店暗いからバレないかって思ったことをはっきり覚えている。
こうして振り返ってみると、記憶の取捨選択に興味をそそられる。
場所とか光や会話って取り出しやすい記憶なんだろうなと思う。
匂いや音は、再びそれに触れたときに思い出されることが多いから、自分のどこかに沈殿する記憶なのかもしれない。
記憶について少し勉強をしたくなった。
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