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生活する沖縄 #1 |手書きの名刺と手書きの看板

たった2ヶ月ちょっとだけど、
そこに家があって、料理は自分で作るし、行きつけの弁当屋さんもできた。
その上、節約のために野菜とお肉は別々のスーパーで買うときたらもうこれは生活と呼んでいいのではないか。
旅行記ではない、沖縄での日々の記録です。

イントロ

沖縄に来た経緯はこのマガジンに取ってさほど重要な事項ではないから簡潔に書くと、友人の仕事の手伝いに来ています。事務所のインテリアを作ったり、人探しをしたり、地域の人と関わりあったりといった感じ。

ずっと関東にいた僕からすると沖縄は、人も気候もあたたかな南国で、ユニークな文化を紡ぎ続けてきた神秘の島であると同時に、悲惨で屈辱の歴史をもつという、複雑でどこか真正面から向き合いづらい土地でもある。
沖縄に行く直前なんて、沖縄県民以外の人達によるコロナ化の横暴*のせいで内地*の人は全然信用されないなんて言われていたもんだから、結構ビビっていた。

実際に行ってみてから知るのは、表面化しているものだけでも恐ろしいほどたくさんの問題が山積みであることと、そんな火薬庫のように不安定な土地で生きる人たちが持つ底なしの好奇心と底抜けな明るさへの驚き。
とにかく老若男女みな無邪気で、わんぱく。警戒心というものがあまり感じられない。この日記では人との関わりをたくさん綴っていきたい。


日記

朝日が登ったら起きるという自慢の生活をしている。
その日は郊外にある怪しげなリサイクルショップに行って、ソファとちゃぶ台、木目が綺麗に出ている白塗りの棚を買った。
そのお店は家族と少しの従業員で営んでいて、バックトゥザフューチャーのドクの部屋みたいに、手に取って眺めたくなるような物でごった返していた。

案内をしてくれた奥さんは手当たり次第に物を紹介してくれて、その値段や仕掛けに驚く僕らを見て毎度少しだけ誇らしそうだった。
雑貨や家具一つ一つに宿る小話は、僕の知らないところで知らぬまに起きていた知らない人のストーリーで、ほんとうなら他人の思い出なんて知ることはできないのに、一つのモノを介してその思い出の一員になったみたいだ。同じ星に住んでいることのロマンを感じた。
ちなみに買ったソファは、寸法を間違えたせいで引越し先の家に入らなかったから売られたという不遇な記憶を持っているよ。


大満足

そういえば奥さんが一番興奮していたのは、僕にバックトゥザフューチャーが好きかと聞いた時。好きですと答えるとガラスケースの中にあるデロリアンの模型を見せてくれた。唐突な質問だったことに加えて、直前に<元値80,000円が8,000円!?ターコイズのふかふかビッグソファ>と<直径90cm折り畳みちゃぶ台500円。500円、、、>を購入していたので、小さなデロリアンの5,000円の模型にはあまり心揺さぶられなかった。もっとファンだったなら、よだれダラダラで喜んでいたのかな。

買った家具が車に積めなかったので、トラックを貸してくれた。
ドア脇のポケットにはタバコの吸い殻がパンパンに詰まっていて、助手席周りは一人暮らしのワンルームみたいな様子で散らかっていた。

トラックを返しに戻る。
その後名刺を交換することになったのだけど、
どうやら切らしていたようで、名前と連絡先を手書きして渡してくれた。

会社に行っていた頃、初めての社外MTGの際に名刺の枚数が足りないことに気づいて、会議中汗が止まらなかったことを思い出した。
足りない分を手書きで済ませていたらどんな目に遭っていたのだろうとも想像した。
名刺の向きや高さがとびきり大事な世界と、手書きで済ませていい世界。
両者の間にはどんな違いがあって、どのくらい離れているのだろうか、とも考えた。
まるで別世界だけど、別世界と言えるほど離れていないのかもしれない。

お昼ご飯は近くの弁当屋さんにいく。
沖縄に来て驚いたこととして、お弁当屋さんがとても多く、驚くほど安い。
物価が押し並べて安いというわけではなくて、なぜか弁当の値段だけ時空が歪んだように安い。
何軒かあるのでローテーションしているのだけど、どこも100円の沖縄そばを置いているし、250円のお弁当でお腹いっぱいになる。

ある店は店先に手書きの大きな看板を置いている。
朝は『100円そば』
お昼ごろは『100円びき』
陽が暮れだすと『半額』
時間によって変化していく。
粗く太いその文字は前を通るたびに目を引くから、素晴らしい広告なんだなと思う。


ギザギザの吹き出しと赤いシャドウが、書いてる時の勢いを思わせてイイ。

そこのおじちゃんは自分が弁当を食べる様子を動画にしてYouTubeのショートにアップしているらしい。看板の文字や店構えとのギャップに驚いて話を聞いていたら、ショート動画についての簡単な講座を開いてくれた。
事務所に戻ったらお弁当は少し冷めていた。


デジタルマーケティングの会社にいた頃、
人はみな消費者で、生活はデータだった。
ある偏りを掬い上げて「傾向」とひとまとめにしてしまうにはあまりに勿体無いそれぞれの人生があることを忘れがちになっていたように思う。
人には皆通過してきた時間があり、積み重ねてきた生活がある。
生活にはそれぞれの温度があり、匂いが満ちる。それは他人には想像なんてできないけれど、想像ができないからこそ自分が宿ってゆくのだと思った。




事務所の裏道はさながら植物園のよう。
小学生が秘密の近道にしている。

*コロナ禍に、それまでレンタカーとかエセ沖縄料理店みたいな商売やってた内地の人間が事務所とか店とか車とか諸々そのまま捨てて逃げてった例が多かったらしい

*内地って言葉は沖縄への差別用語だという意見もあるそうだけどこちらの人が一番使っているのでそのままにしています、よくないかもだけど

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