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生活する沖縄 #4|小さいワ。


沖縄には500メートル級の山が幾つかあって、そのうちの4つの山を一日のうちにまとめて登った。
いい感じの棒を拾った隊長を先頭に据えて、4時間にわたってひたすら歩き続けた。

山の頂上では文字通りの絶景が視界を覆うので、それを見ながら少しの間だけぼーっとするなどした。

憂鬱な環境にいた頃、綺麗な景色は言い訳だった。
憂鬱な自分に発破をかけるための癒しとして、それは素晴らしいほどの効果を発揮する特効薬だった。
地球にはこんな場所があって、その大きさと自分の悩みの小ささを比べるとたちまちモヤは吹き飛んでいくから、自分では到底太刀打ちできないような、圧倒的な自然を浴びにいくのが好きだった。

頂上で気がついたのは、今、環境が変わって、そういう特効薬がいらなくなるくらいには心の余白ができたんだろうなあということだった。
目の前にはただ海が、植物が、トカゲが、別の山が、ただただそこにあるだけだった。
ふとすると、ぼんやりと高く上がった真昼の月に旅行したり、大きな雲の影が小さな集落を覆って灰色に染めあげているのに気がついたり。

時には薬にもなり、想像のタネにもなる。自然は巨大で恐ろしくて、だけどたまには寄りかかってもいいものだ。


木の根に沿って新しい木々が芽吹いて育つ

なんか結構道を自らの手で切り開いていく感じの登山道だった。



登山を終え、スタート地点に戻るために3キロくらいの道を歩く。
途中ポツポツと家があったのだけど、そのうちの一つのお家がとても堂々ととしていて、暮らしの匂いがする素敵な家だった。石垣の門や庭、大窓は開いていて風通りが良さそう。
雑然と置かれているように見えるたくさんのモノは、きっと彼らにとっては整理整頓されていて、積み重ねた暮らしの中でその居場所が決まっていったんだろうな。

この集落は50年前には今の10倍近く家があったのだけど、みるみるなくなっていったそう。
素敵なお家から出てきたおじさんに村の歴史を一通り聞かせてもらった。
50年って、一つの村が起こって、滅びゆくだけの期間なんだなと、その長い時間を想って気づく。

昔は村民で力を合わせて全部を一から作り上げていたらしい。
何十年経っても一切の衰えを見せないこの家は、村の仲間たちみんなで協力して建てられたものだった。
瓦の形は均一で一つの歪みも見当たらない。魔除けのシーサーは屋根の中腹にあり、背筋が伸びていてかっこよかった。

おじさんの若かりし頃の驚異的な脚力の話のあと、僕らが東京から来たことを知ると、家の前の果樹園から大量のシークヮーサーを採って持たせてくれた。


ピンポン玉サイズの小さな実のなかに、種が7個くらい入っていて強烈に食べづらい。
疲れた身体に栄養を突き刺すような酸っぱさだったので、いくらか回復した。


おじさんと別れたあと、また別のお家の縁側で座っていたおばあちゃんが「洗いたてのみかんをあげる」と言って、再び山ほどの果物を渡してくれた。
それは間違いなくシークヮーサーだった。





ヮ!





ヮ。




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