自分が歩いていた頃の友人に再開した時や、
初めて会った人達に対して
「自分が車椅子になぜ乗ることになったのか」
「どんな障害があるのか」
「受傷当時、そして今どんな心境なのか」
といった事をどう分かりやすく説明したらいいのだろう?
そういえば、事故直後に
“新しい身体、新しい視点。ある日突然、事故で下半身不随になりました” という記事で、当時感じたことを書いて以来、退院した今まで、自分の状態について何も書いてなかったな。
そのように思ったことをキッカケとして自分の頭の整理も兼ねてこの記事を書いています。
言ってみれば、これは、
知り合いへの説明にも使えるただの"公開メモ"。
その点をご了承いただいた上で読み進んでもらえればと思います。
「えー何これ!こんな事になるの?」という風に、
自分とは関係のない別世界のお話という感じかもしれませんが、これは、<今これを読んでくれてる貴方> と何も変わらない<普通の人生を歩んでいた僕> にある日突然降りかかった出来事の結果であり、貴方の身にも明日この様なことが起こらないとは限らない。
ということだけお伝えして筆を進めていきたいと思います!
長ったらしい文章で恐縮ですが、それでは本文をどうぞ!!!
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1. 僕の怪我について。 何で車椅子に乗ってんの?
僕は今、車椅子に乗っています。
なぜなら大学4年の時に交通事故にあい、怪我をしたから。その怪我の名前は「脊髄損傷(せきずいぞんしょう)」。
じゃあその「脊髄損傷」って何?って話ですが、ざっくり言うと「背骨をその中にある神経ごと折っちゃう」って事。
みんな首からお尻の辺りまで背骨があると思うんですが、その背骨の中には実はとっても【大きい神経】が通ってます。
その神経は、頭から身体中の筋肉に「動け!」みたいな命令を伝えてるの大事なコードなのですが、
その大事な太いコードが背骨を骨折した時に一緒に切れちゃった!って言うのが「脊髄損傷」なんですね。(「脊髄」っていう神経を「損傷」しちゃったから「脊髄損傷」)
んで、それが切れちゃうと何が起こるかって言うと、切れた場所から下に頭からの命令が届かなくなるので、【怪我した場所から下が動かなくなっちゃう】と言う訳です。(例えば首でやると手や腕にも麻痺が出ます。)
水道の蛇口(=頭)から出てる
ホース(=神経)が途中で潰れ/切れちゃって、
ホースの先にあるコップ(=足とかの筋肉)に、
水(=動けと言う命令)が届かなくなった
…とイメージしてもらえば分かりやすいかもしれません。
ちなみに「頭から筋肉への動けって命令」も届かないのですが、同時に「筋肉や皮膚から頭への "熱い/冷たい/痛い" って信号」も同様に届かなくなります。
つまり【動かない】+【感じない(感覚もない)】って訳です。
一般に言われてることとして、
その脊髄っていうメイン回線のような神経は
一度傷つくと再生・回復しないと言われています。
よく「それって治るの?」と聞かれますが、一般論では治りません。
まぁ、そういった訳で僕は今車椅子に乗っています!!!
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2. どんな障害があるの? 何が出来ないの?
これは大きく分けて3つあります。
① 運動機能障害
〜動きません + バランスあまり取れません〜
② 感覚機能障害
〜感じません + 油断すると骨まで穴あきます〜
③ 膀胱直腸障害
〜トイレ、漏らすことがあります〜
それぞれについて詳しく説明させてください!
① 運動機能障害
2. 感覚機能障害
3. 膀胱直腸障害
このように 背骨を折ると、大きく分けて、
① 運動機能障害
② 感覚機能障害
③ 膀胱直腸障害
の障害が発生し、それに付随して+αで、
・痙性 ・体幹機能の低下
・褥瘡 ・尿路感染
などのリスクや不便も発生します。
慣れてしまえば、大したことはないですが油断は大敵ですね。
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3. どういった心境なの(過去と現在)
実は日本には現在、10万人以上の脊髄損傷者がいて、毎年5000人の人が新たに脊髄損傷になっていると言われています。
そしてその半分は僕(当時22歳) のように比較的若い年齢〜60歳までの社会で暮らし働いている労働人口層なのです。
ただ、これだけの脊髄損傷者がいるにも関わらず、
街で車椅子の人を見かけた記憶がある人はそう多くないと思います。
それには、
・症状が重くあまり動けない。
・周囲にバリアフリーがあまり整っていない。
・働く環境(社会的に活躍できる場所)が少ない。
など、様々な要因がありますが、その中の一つとして、
・"障害受容" が十分でなく、自らあまり外(社会)に出たがらない。
という理由も人によってはあるかもしれません。
ではこの "障害受容" とは一体何なのでしょうか?
人はある日突然障害を負うと、
という5つの過程を踏むと言われています。
そして受容してこそ、障害と共存し活き活きとした日々を送れると一般には言われています。
では僕の場合、当時どうだったのか。
【ショック期 / 否認期】▶︎【受容期】とだいぶ色々なステップをぶっ飛ばしてしまいました笑
自分のケースを具体的に言うと...
日常生活に十分な力と新しい身体の使い方、そして車椅子の取り扱い技能をつけた今は当時以上に「今までとほとんど何も変わらないし、何の問題もないな」という感じです。
出来ないことと言えば、
・階段や大きい段差を越えること、
・高いところの物を取ることぐらいで後はほぼ今まで通り。
もちろん、
・車椅子で入れるトイレを探したり、
・風呂やトイレ、ベッドへの移動などで
普通より時間がかかったり、
・大きい段差のある店では
人の手を借りないといけなかったり、
・時間に余裕を持って行動しないと
いけなかったり…
そういった不便は確かにありますが、
何かあれば大抵ありがたいことに多くの優しい人が助けてくれますし、僅かな出来ないことや不便な事よりも、出来る事や変わらない事、よく考えてみれば他の人よりも優れている事などが桁違いに多くあるから、気にするほどでもないかなというのが、退院して日常生活を送り始めた今の心境です。
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かなり長くなってしまいましたが、このような感じです!
今までお付き合いのあった皆さん、こんな感じですが案外何も変わってないので引き続きよろしくお願いします。
初めましての皆さん、こんな感じで少しばかり人と
違うところはありますが、どうぞこれからよろしくお願いします!
まる。