【エッセイ】得意分野について書くことを見送っている理由

大学院で地方演劇について研究しています。 文化行政の取り組みとか地方在住社会人の劇団と演劇鑑賞協会の運営や人間関係がどうなってるのかとかを調べるために、地元の演劇祭の実行委員をやったり、文化行政の一環で市民を公募して演劇を創作、上演する事業でスタッフやったりしてます。山陰の方に有名な劇場があると知り、調査にも行きました。

調査先で話した人に勉強不足を指摘された(地方財政計画とか予算組みのスケジュールとか法律とか)ことが何度もありますが、勉強したことに絞ればnoteが書けるかもしれません。

得意分野について書くのを見送っている理由は不安だからです。

大学院で研究をする人に、例えば自分の家族関係があまり良くなかったから家族について研究しようとか、自分の納得いかない気持ちが動機になっている人が、自分の周りに多いです。

ただ、自分の場合は研究しようという動機が私怨や嫉妬なのです。

自分は中学、高校ひいては大学まで10年間学生演劇に入っていました。最初は実作をやりたかったのですが、何が悪いのかもわからないまま少しずつ続けるのもしんどくなって、一人で部屋で寝転がってでも書ける文章に転身しました。

そのお陰で長い文章を書くことは出来るようになりました。修士論文は25000字なのですが、少ないと感じるようになりました。

で、いざ、修士論文の下書きで地方演劇について書こうとすると、いちゃもんとか、村上龍のエッセイみたいな強気の否定的な語気で書いてるのです。

公に出るコラムやエッセイだと、否定的な考え方をある出来事がきっかけで変えて肯定的な考え方になるまでの過程が書かれるかもしれません。いつも読んでて、こんなに暗い部屋の電気を点けるみたいにパチッと変わるなんて、あり得るの? 揺り戻しはないのだろうか? 変わったと思ったのは数日で気がついたらまた前の否定的な考えを反芻してる場合はないのか。もしそうならすごいなと思って、悲しくなりました。

形式でも論調でも文体でもしっくりくるテンプレートを思い付いてから、書こうと思っています。小説でも、ラノベでも、エッセイでもコラムでも。

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