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セカンドハウス プロローグ 『イサムの家』

人生には、いくつかの大きな転換期が訪れる。
若い頃は、夢や希望に向かって飛び込み台に上り、躊躇なく先の見えない深い水の底を目刺して飛び込んでゆくものだ。

半世紀以上歳を重ねるとこれまでの経験からその怖さや痛みも想像でき、それが逆に『あだ』となり、熟慮を重ねた上に踏みとどまることが多くなる。何らかしらの大きな『きっかけ』がないと動けないものだ。

昨年の父の死を目の当たりにして、健康寿命を考えるようになった。
『あとどれくらい何ができるか、やり残したことはないか。。。』

植物を仕事にする私と建築士のパートナーは、これまで結婚後集合住宅にしか住んだことがなく、忙しい二人には鍵一つで出かけられる集合住宅はそれはそれで生活スタイルに合っていた。しかし、『このままで終わってしまうのかな。』という物足りなさもあった。

また、一昨年から知り合いの別荘の片付けや庭の手入れをするという体験を経て、段々『いつかは自分の庭や家をやってみたい』という漠然とした思いもあった。
その頃から、ただあてもなく条件にあう物件探しが『趣味』になっていた。

父の死後、昨年末から『まずは気晴らしに』とこれからの暮らし方の条件に合いそうな別荘地での物件の内覧を開始。
初めは具体的に購入までは考えていなかった内覧も、いくつか内覧させてもらううちに『このくらいの価格で庭の広い平坦地の平家』という家や資金的条件もまとまってきて、最後に運命的に出会ったのがこの家。

イサムノグチの照明

この家は、築40年を超える物件。
写真で見て、『どこか雰囲気のある家だなあ』と思っていた。
中に入ると『イサムノグチ』の照明がいくつもいくつも。
昭和の良い時代の別荘建築が色濃く残され、一つ一つ丁寧な仕事があった。

障子

庭はとても広く、ヒメシャラの大木が何本もあり、その下には真っ白い水仙がポツポツと広がっていた。
それは、自分の中でも一番と言って良いほど印象に残っている庭の一つである、かつて訪れたブルージュの修道院の庭を思い出させるものだった。
ここには、花壇も必要なさそう。このままでいいのだ。

白い水仙の広がる庭

私たちは、『家を整えるその過程を楽しむ』ことを目的としており、このプロジェクトの題材として、この上ない条件の家だった。

交渉は難航するか、決裂か。
運命というものもあるので、ダメならご縁がなかったんだ、次に進めばいい考えていたところ、思いの外早く運命のお導きあり。
庭にの水仙が白から黄色に替わる3月、ついに自邸となった。

いつしかまた、人生の大きな転換期がまた訪れていた。
多分、これが人生最後のプロジェクトの始まりとなるであろう。
はてさて、この先どうなることか。
ワクワクもするが、久々に若干身の引き締まるいい緊張感だ。

鹿も訪れる庭

追記
前オーナーさんより、当時の『青焼き』の設計図面を預かった。
こうして未だに残っていたと思うと、大事にこの家を引き継がなくてはという思いも強くなるもの。

青焼き図面

そして、この家は建設当時の建築雑誌にも掲載されていた。
他のページの別の家の紹介にも『イサムノグチ』の照明が多く使われていた。どうやらこの1970〜80年代、この照明は大流行りだったらしい。

雑誌掲載


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