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[エッセイ] 流路

「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
なんて風流なあけぼのとはかけ離れた、くしゃみと涙と鼻水の地獄とともに春は訪れる。

 この季節になると、花粉症の薬や目薬を買い込むのと同時にすることがある。それは香水を変えること。気温が上がってきたときにモッタリした分厚い香りを纏うと流石にくどいから、さっぱりした物に変える。
 ブルガリのオムニアクリスタリンという香水。専門的な言葉は全く知らないから上手に言い表せないけれど、爽やかな香りがとても好みだ。絶対にそんな場所にいた事はないはずなのに、その香りがする場所で何か大事な思い出を手に入れたことがあるような気持ちになる。
 去年はかなり色々あって好きな香水を使えなかったから、今年はいつもよりちょっとだけ春夏の到来が楽しみだ。

 少し話が外れるが、香りというのはなかなか調節が難しい。
例えば、衣服用洗剤、柔軟剤、シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、ヘアワックスにヘアスプレー、何でもかんでも好きな匂いを選んでしまえば「香害」という若い言葉を送られることになる。実際に電車内や職場でそういう人が居ると、脳裏に浮かぶのは美術の授業終わりの筆洗バケツの中の水だ。淀んだ色。某LUS○なんてかなり遠方まで存在感を放っている。
 残念なことに人を不快にさせない程度の香りというのは、纏っている自分では結構分からないものだ。好きな香りだからといって自分で満足できるまで数プッシュもしてしまえば周囲からは劇臭になる。
 じゃあ一体どうして香水をつけるのか、俺は香水の香りが自分の香りになっていく過程が好きでつけている。外出しているときには気づけなくても、帰宅して服を脱ぐときにふわっと香る瞬間が好きだ。そして、繰り返し身に纏うことで、鞄や靴や財布にもその匂いが染みつく。その過程が好きだ。
「お前と同じ香水買ったんだけど、なんか匂いが違うんだよな」
なんて言われると嬉しくなる。自分だけの香りになっている証拠だからだ。

 同じ水でもどこを流れるかで、地形の造形は大きく変わる。
「香水を使って最終的にこういう香りになるのが私です」
という控えめな自己紹介代わりにもなるんじゃないかなと思ったりもする。
 最後の最後に臭いことを書いてしまった。



頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。