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【短編小説】友よ。静かに眠れ。with 誰かの願いが叶うころ

真実に値しない者に、真実を語ってはならない。

マーク・トウェイン

 その男は、彼を知る者から畏怖を込めて“K”と呼ばれていた。夜のような漆黒のロングコートに見上げるほどの長身を包み、黒い中折れ帽に黒い手袋。どこまでも黒ずくめの男の中で、金色ゴールドに輝く瞳が異彩を放つ。

 Kは今、ある人物を追いつめていた。否、人物と言ったら誤解を招くだろう。それは、とうに人であることを捨てていたのだから。

 ほんの少し前のことだ。それは、追手の五人の人間を暗闇に潜んで待ち伏せ、彼らが通り過ぎた背後から襲った。経験を積んだはずの彼らだったが、不意打ちを食らったことと、同士討ちを恐れるあまり、普段の戦闘能力を発揮できず、ほぼ一方的に殺された。

 そしてそれは、まだビクビク痙攣している惨殺死体から、血をすすり肉を喰らおうしたした瞬間に、虚空からいきなり出現した拳によって殴り飛ばされたのである。その拳は、禍々しい闇のオーラを纏っていた。拳に続いて腕、肩、そして黒いコートの長身が現れた。

「が、があああああああぁぁっ」

 血塗れの鋭い鉤爪がゴオと空を切った。不意打ちのつもりだったのに、巨体のくせに動作の素早いKに難なくかわされてしまう。

「おまえはもう、俺のこともわからないのか」

 身体が泳いだせいでガラ空きになったそれの脇腹に、闇の拳がめり込んだ。再び吹っ飛んだそれが、ドガッと壁に叩きつけられる。

「ぐガっ」

 牙の間からうめきがこぼれた。容赦無く次の打撃がそれを襲う。

「なあ相棒。さっきおまえが八つ裂きにしたのは、かつてのおまえの仲間なんだよ」

 そう言いつつ、左右の拳でそれを殴り続ける。重い拳だった。それの腐った臭いのする内臓をえぐり、頑丈なはずの太い肋骨をへし折る。

「ずいぶん遠くへ行っちまったな。相棒」

 赤い肉と、どす黒いそれの血が周囲に飛び散った。ダウンしたくても拳が許さなかった。逃げることもできない。

「今のおまえは、人から遠くかけ離れた化け物だ」

 それはサンドバックのように、ボロボロの肉塊になるまで殴られ続けた。

「だが、俺が連れ戻してやる」

 攻撃が止んだ。

 それが崩折れると同時に、Kの口から呪文のような詠唱が流れはじめる。

闇よ 我に力を与えよ
夜よ 我に魔を授けよ
さすれば我 狂える同胞ともを最果ての地へ贈らん
さすれば我 彷徨えるむくろを忘却の主へ捧げん
我は誓う 漆黒の僕に
我は誓う 殺戮の宴に
魔姫よ 今こそ我に力を
この者の魂に 永遠の闇の平穏をもたらしたまえ

 Kの瞳が煌々と金色に輝いていた。左の拳を握りしめ、そこにありったけの力を込め、意識を集中する。

「ごぉ…があぁぁああああああ」

 息絶え絶えのはずのそれが立ち上がり咆哮した。見る見るうちに、そのぬらぬらした赤い身体が膨らみ、手足が太く伸びて、倍以上の大きさになった。それがまた咆哮した。空気がビリビリ震える。Kはその場から動かない。

「でかくなれば勝てるってものでもないぞ」

 それは剣ほどの長さのある鉤爪を大きく振りかぶった。そして次の瞬間、Kめがけて振り下ろした。しかし彼を細切れにするはずの鉤爪は虚しく空を切る。斬撃を飛び上がってかわしたKが、それの懐深く入り込み、闇が渦巻いている左の拳を、左手に宿る力=ダークデーモンを、それの心臓に叩き込んだ。

「我が友よ せめて人として逝くがいい」

 めり込んだ左拳を中心にして、それの身体が縮みだした。まるで拳に吸い込まれるように小さくなっていく。同時に、それの外見が変化しはじめた。鉤爪が短くなり、手と足が縮み、化け物じみた赤くぬらついた皮膚がその色を変える。やがて変化が止まった。そこには、全身に傷を負った裸の男が横たわっていた。

「お帰り。相棒」
「…K。俺は…」

 金色だった瞳は元に戻っていた。その両腕に抱いているのは、ついさっきまで人外の存在だったはずの男。今の姿には、その片鱗は全く残っていない。ただの痩せ細った、死にかけている男だった。

 かつて男は、Kの親友だった。信頼できる友であり、共に魔と戦う相棒だった。

 男は力を欲していた。大事な存在を守るために、今以上のさらなる力を欲したのだが、いつしかそれは、権力への欲望に変化していた。その暗い思いにつけ込むように魔が忍び寄り、やがて敵であるはずの魔に取り込まれてしまい、自分が魔そのものになってしまったのである。

「すまん。殴りすぎた」
「いや。いい…んだ。俺は人に…戻ったのか」
「ああ。そうだ」
「どう…して、あのまま…殺さなかった」

 途切れ途切れの声がKをなじる。

「その左手で、俺の魔を吸収した。そんなことをすればおまえが…」
「必ずおまえを人に戻すと自分に誓ったからな」

 Kの左手は闇の力を放出することにより、魔を破壊する。その逆に、左手から魔を吸収することもできる。ただしそれは、自分の体内の魔を取り込むことになり、親友のように、自分が魔になってしまうリスクを抱えていた。

 元々はKも普通の人間だった。しかしある時、別の時空に存在している強大な闇の力に接したことにより、この能力を授かったのだ。授かったと言っても、そこにK自身の意向はなかった。こんな力は欲していなかったのに、勝手に押し付けられた迷惑なものと考えていた。それに、闇と魔は近しい存在であるから、今は味方でもいつ敵に寝返るかわからない。

 しかし避けられないのなら積極的に活用してやれとばかりに、Kは左手に宿った(K本人によれば、巣食っているという表現が正しいとのことだ)闇の力を存分に発揮していた。

 Kいわく“毒をもって毒を制す”。

「すまなかった。俺の…弱さが…」
「もういいさ。済んだことだ。こうしてまた親友に会うことができて、俺は嬉しいよ」

 それに対する返事はなかった。光を失った目をそっと閉じてやり、Kは静かに瞑目した。

 せっかく戻ってきたのに、また遠くへ行っちまったな。俺がそっちへ行くその時まで、もう少し待っていてくれ。相棒ともよ。

𝑭𝒊𝒏


♦︎ヘッダーは海外のフリーイラストです。
♦︎エブリスタのお題コンテスト「遠くへ」エントリー作品です。

♦︎ホラー専門レーベル【西骸†書房】蒼井冴夜


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