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時間旅行者トキ

 タケルは自転車を漕ぎながら開聞岳を横目に見る。いつもの風景だ。ここをパワースポットとか言う人がいる。「どこが?」と思う。どうせ都会の人間が言うのだろう。都会は違うらしい。行って見たい反面、この温かい海のような風景にいつまでも浸っていたい気もする。
 タケルはSF好きの青年だ。東京でオリンピックが開かれた今年、高校3年生になった。3年前の1961年、ガガーリンが人類で初めて宇宙旅行に成功した。タケルはこれにいたく感化された。将来宇宙飛行士になろうと心に決めた。鹿児島から宇宙飛行士が出るなんて素敵じゃないか。タケルは夢に溢れていた。
 そんなタケルがトキに出会った。それは北限のソテツが生える道端だった。トキはこの時代に和服を着て、髪だって髷みたいにしていた。そんな変な格好でフラフラしているから、土地の子供らに石を投げられて泣いていた。
 タケルは土地の人間だから、こんな子供の扱い方はお手のものだ。大体、狭い部落の中で皆顔見知りだ。適当なことを言って追い散らした。
 二度目にトキに出会ったのはそれから1ヶ月くらい経った頃で、この地域を走っている路線バスの中だった。驚くことにトキはバスの車掌さんになっていた。あの変な和服を着ていた子が制服を着ている。半信半疑だ。それでも思い切って話しかけた。そうしたらあちらもタケルを覚えていたらしくて話がはずんだ。以来、二人は急速に親しくなった。

 トキは時間旅行者だ。時間旅行者と言っても色々だけれど、トキの場合はワープできるだけだ。自分が生まれた惑星と、これと数万光年離れた地球の間をワープする。一種の平行宇宙だ。この故郷の星と地球は時間の進む速度が違っていて、地球の方が60倍くらい速い。トキが故郷で1年過して地球に戻ると、地球では60年が経過している。だから、地球にいる者がトキを観察していると、あたかも彼女が時間旅行者のように見えるのだ。
 普通の場合、トキは故郷で最低2年を過ごして地球に行く。そうすると、地球では大体120年が過ぎていて、前に来たときにトキに出会った人はまずいない。時間旅行者にとっては、前に来たときの自分を覚えている人間がいない方が、いろいろと面倒くさくなくて気が楽だ。気兼ねなく地球の文化の進み方を観察できる。この観察こそが、時間旅行者が時間を旅する目的だ。
 今回も、この前地球に来たのは120年前で、東京はまだ江戸と呼ばれていた。人はまだ和服を着ていた。だから、今また地球に来るに当たって、トキは躊躇なく和服を着てきた。ところが、驚くことに世の中の人は皆洋服を着ていて、和服を着ているトキはすっかり浮いた。挙句の果てに悪ガキから石を投げられた。時間旅行者に似合わないドジを踏んだということだ。相手が子供だとは言えあわやというときに、タケルという名の透明な雰囲気を持つ若い人間に助けられた。時間旅行者は人を助けることはしょっちゅうで、それが商売のようなものだが、助けられることは稀だ。だからフラフラしてしまった。この時代の言葉で言えば「一目惚れ」というやつだ。

 トキは不思議な人だ。バスの中では面食らった。
 何よりもトキの格好だ。この間は草履を履いていたのに、今は普通と変わりのない革のシューズだ。髪の毛だって、この前は髷に結っていたのに、今はごく普通のポニーテールだ。
 彼女は若いのに若くない。どう見ても顔はタケルと同じか少し上なのに、客あしらいの上手なこと。そんな知識をどこで仕入れたのか。このチグハグが分からないし、何だか自分を引き付ける。だからタケルはトキを誘い、親しく付き合うようになった。でも、トキには気がかりなことが一つある。それはトキの口癖だ。
 彼女は美声の持ち主だ。ソプラノでもアルトでもない。珠を転がすようないい音が天上から舞い降りて来る。そしてトキは歌うように言う。「私は1年経つといなくなる」。そして、これを言うときの哀愁がものすごい。
 それはどういう意味かと尋ねても、理解できる答えは返ってこない。だからタケルはせき立てられる。何とかしてやらなければいけない。でも、どうすればいいのだろう。そもそもそんなことってあるのだろうか。
 
 時間旅行者は歴史の観察者だ。だから私情を挟まない。客観的な観察ができなくなるからだ。観察結果を持ち帰って、その知識を自分の星の糧とするのが時間旅行者の役割だ。
 だが、今回はのっけからその時代の、自分と同じくらいの、それも異性に助けられた。それで、トキは私情にどっぷりと浸かった。心臓を鷲掴みにされた気分だ。もう観察どころではなくなって、すっかりタケルとの逢瀬に溺れ切った。
 タケルはこんな田舎に珍しく、と言うよりこの前の江戸時代に出会った若者たちと違って、粗野でなかった。それでいてトキの星の異性のように、ガラス質で人間性を感じられない訳でもない。トキはすっかり感銘した。掟を破ってこの時代に長居をしようか、とさえ思った。
 でも、時間旅行者はモタモタしていられない。地球にいると故郷の星の60倍歳を取る。時間旅行者にとって旅行した先での恋はご法度だ。そもそも、そこの人との交渉が禁じられている。
 お互い幸せの絶頂なのに。それを自らの手で壊す。こんなに悲しいことはない。でも、これはしょうがないことなのだ。
 二人は別れる。タケルには、私のことなんか忘れて幸せな人生を送ってほしい。それがトキの切な願いだ。

 「その日が来たらしい」、とタケルは思った。「らしい」としか言えない。トキは突然いなくなった。バスはいつもどおりに走っているが、それにトキは乗っていない。
 タケルの心に穴が空いた。洞穴のような広い穴だ。
 自分の前には長い人生の道が続いていて、そこをコツコツと歩んで行く。それは人の宿命と言われるものだ。でも、トキが消えた今となっては、どうしてそんなことができようか。タケルは底知れない闇に入ってしまった。
 
 トキは自分にとっては故郷と言える星に戻った。あたりは驚くほどの静寂だ。だれも散歩をしたり、ましてや石を投げたりはしない。人は皆、カプセルの中に入っている。
 この星では、先人が様々な発達度合いの星にワープして、あらゆる知識を仕入れた結果、異様に文明が発達した。社会の生産性が極限まで高くなり、その分人の役割が減った。その結果、人々はあまり動かなくなり、終いにはカプセルの中で夢を見て過ごす様になった。
 人はカプセルで生まれてカプセルで育つ。やがて成人になると、時間旅行をしてさらなる知識の獲得を目ざす。それはこの星の人間の務めだ。その後歳が高じると、彼らは引退してまたカプセルに戻る。そこで夢を見ながら人生の最後を迎えるのだ。
 この一生に疑問を持つ者は、トキを含めて、これまでほとんど存在しなかった。
「悲しい」。
 トキはじめて自分の生き方に疑問を持った。自分が時間旅行者であることを呪った。なぜだろう。それは今回の時間旅行で、その地の人と深く交渉したからだとトキは気が付いた。そもそも、このような交流はトキの星では禁じられていた。それがトキの星の人間に悪影響を与えると考えたからだろう。それを今回トキは破ったのだ。

 タケルはトキを探した。そして探しあぐねた。
 その後は悲惨な人生だ。あの青春の時が華だった。このままではいけないと、田舎を離れて都会には出たけれど、夢はことごとく破られた。
 何も悪いことをした覚えがないのに、そしてごく普通には就職したのだけれど、40を過ぎた頃にバブルが弾けて、タケルはリストラに遭遇した。その後は坂道を転がり落ちるような人生だ。誰も中高年のタケルなぞ雇わない。
 この間にタケルは結婚もした。「して見た」と言ってよい。いかにも魂の抜けた結婚だ。大体、毎晩のように星を見上げてため息をついているような男を、だれが大切にするだろう。だから、その結婚相手はいつの間にか姿を消した。
 時は容赦なく過ぎて行く。タケルはさらに歳を重ねた。歳を取ってからの一人住まい。ましてやそれが安アパートとなると、その辛さはひとしおだ。
 長い人性、自分は何を得られて、何を得られなかったのだろう。衣食住、満足の行く日頃の行動、愛のある人間関係、さらに、健康。どれに及第点をつけられるのだろう。
 この世にたった一人の自分。周りには誰もいない。そして、いつの間にかタケルは70を過ぎた。その頃からなんだか頭がまとまらない。日常が思い出せない。
 病を得て田舎に戻った記憶があるが、それもあまり覚えていない。確かなことは、天はタケルが独りで暮らす、その力をも奪った事だ。

 トキは焦った。またたく間に1年が過ぎた。普通あと1年は戻らない。でも、その1年はタケルにとって重大だ。トキは一つ歳をとっただけだけれど、タケルはもう70も半ば過ぎだ。あと1年この星で過ごしたら、タケルには二度と会えないのだ。いくら歳がかけ離れたと言っても、ぜひともタケルにまた会いたい。熱い思いがトキにはあった。そして・・トキは禁断を犯した。1年で地球に戻った。
 開聞岳の佇まいは前と変わらなかった。懐かしい。でも、感傷に浸ったいる余裕はなかった。
 時間旅行者もワープした先で食っていかなければならない。そのためには職の確保は喫緊の課題だ。当然そのためのスキルも持って来てはいるが、それでもその時代にない職にはつけない。180年前、江戸時代には子守くらいしか職がなかった。60年前に来たときはバスの車掌になった。だから、今度もこの車掌になろうと思っていたら、そんなものはとうの昔になくなったという。その代わりに介護士だ。これも時代の反映だろう。それはそれで興味深いが、とにかくトキは開聞岳の麓の小さな介護施設で働き始めた。そして、そこにタケルがいた。

 タケルは施設の中を散歩する。散歩と言っても車椅子だ。最近入った若い介護士の女の人が押してくれる。どこかで見た顔だけど思い出せない。
 ときどき、なぜ自分がここにいるのか分からなくなる。でも、たまにそれを思い出す。自分は老化による病が高じて、この施設に入ったのだ。
 自分の人生はここで終わる。明らかに悲しい人生だ。自分は宇宙飛行士を夢見ただけなのに。何も悪いことはしていないのに。誰のせいだろう。人生って何なんだ。もしやり直せるのならそうしたい。
 そう言えば昔トキという子がいた。随分昔だ。今では顔も思い出せない。あの子も生きていれば今は老婆だ。でも、突然消えてしまった。あの子はマリア様かなんかだったのだろうか。それとも時間旅行者か。いや、それは違う。そんなものはSFだ。現実にはあり得ない。
 車椅子を押している子がしきりと話しかけて来る。いい声だ。この子は誰だろう。知ってるようで思い出せない。ときどきハンカチで目の端を拭っている。泣いているのだろうか。そのうちに頭が眠くなる。何も思い出せない。もう眠ろうか。

 トキはタケルの乗る車椅子を押している。
 このお爺さんと私のような小娘が、1年前に付き合っていたなどとは、見ている誰もが想像できないだろう。もちろんその1年は私の時間で、タケルの時間ではないのだけれど。
 タケルが目を漂わせる。ゆっくりと遠くを眺めている。開聞岳が霞んで立つ。彼にはトキが分かるようで分からない。いくら話しかけても無駄な努力だ。
 トキは自らに問いかける。この胸の中のどうしようもない感情はなんだろう。誰にも説明できないし、誰も分かってくれそうにない。
 こうなることは想像できた。だから、合理的な思考をするトキの星の人間は、自分を識別できないタケルに会いに来たりはしないだろう。でも、自分の感情に素直になると、こうせざるを得なかった。これを人情と言うのだろうか。自分の星の人間はとうの昔にそれをなくした。トキにはこの人間性のようなものが、復活したのかもしれない。
 でもこの場面はとても辛い。胸が引き裂かれるようだ。この星の人間はこんな感情に耐えているのか。
 改めてタケルを見る。
「こんなに白髪になっちゃって」
 それがトキの涙を誘う。今のタケルには、この前来たときのタケルの風貌は微塵もない。でも、目のあたりにときどきびっくりするほどの、若い頃の雰囲気が蘇る。トキはそれに向かって話しかけて、昔のような答えが返ってくることを期待する。でもその願いは裏切られる。
 タケルは老人になった。まだ抗う気持ちはあるけど、この事実を覆すのは難しい。トキも段々とそれに納得して、波立っていた胸の内を治めた。そして静かに気が付いた。そうだ。そうなのだ。これを、この老化の悲しさを見たくなかったから、時間旅行者は訪問の間隔を、この星の時間で120年空けたんだ。トキは彼方の空を見上げた。見えるはずのない自分の星に顔を向けた。

 トキにとってはたった1年の経験だった。でも永遠に忘れないだろう、と改めてトキは思った。
 けじめを付けよう。確かに忘れられないし、百の涙を流すだろう。でも、今は前を向くのだ。
 トキはゆっくりと歩みを進めた。車椅子の中でタケルが揺れる。歩みに合わせて頷いている。

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