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私が海外留学に憧れを抱いたきっかけ②

 Moi!! (フィンランド語でこんにちは) 。表紙の写真は、留学先の秋のキャンパスの様子です。丁度去年の今頃かな。

 前回から少し日が空いてしまいました。

 本題に入る前に、今悩んでいるのが生理痛。4ヶ月前から尋常じゃないくらいの痛みが毎月くるようになり、昨日は痛すぎて泣きました( ;∀;) 月末に産婦人科予約してるので、ピルの相談してみよう。もし使ってみて良かった、それについても記事にしたいな。


 前回、「私が海外留学に憧れを抱いたきっかけ②」では、私の中学時代の思い出〜高校入学、修学旅行編まで書きました。今回の内容はこんな感じになっています。

1. 3泊4日マレーシア修学旅行 (初めての本格的な海外)
2.大学の希望進路決定、留学ができる学部に行く!!
3.山あり谷ありだった入学試験(センター本番の奇跡)

 

1. ハプニング続きのマレーシア修学旅行(2014年10月)

 前回の記事でも述べた通り、元々例年の沖縄修学旅行がよかったという思いと、同年3月に起こったマレーシア航空の墜落事故もあり、テンションは上がらなかった。(ちなみに、この墜落した機体は捜索されるも見つからず、未だに真相は謎だそう。機体の一部が2015年の7月にフランス領の島で発見されていて、墜落事故認定は一応されている。けれど、乗客乗員の遺体は1人も見つかってないそうで、2017年に捜索打ち切りされているそうだ。今でも飛行機に乗るときにはその事件を毎回必ず思い出してしまう。)

 秋の修学旅行あるあるかもしれないが、台風が直撃し天候が荒れた中での旅行...この例に漏れずこのマレーシア旅行1日目に台風直撃。フライトは12時間遅れになるものの、スケジュールはずらされないままマレーシアに向かった。向こうに着いた時はもう夜で、フラフラだった。次の日はマレーシアの中心地を観光するというスケジュールだった。1グループ6,7人の班にマレーシアの現地の大学生2人が参加し、引率してくれた。私の班の引率してくれた大学生は2人の女性で、2人とも笑顔が可愛らしくてアクティブな感じの人だった。

 2人は、限られた時間の中で、色んなところに連れていってくれた。寝不足な中であっちこっち歩き回って少し疲れたけれど、それ以上に、日本では見たことのない街並みと人々の生活に驚いた。また、英語の授業以外でまともに英語を使ったことがなく、初めは恥ずかしかったけれど、案外話せるものなのだなと思った記憶がある。そして、日本人よりもマレーシアの人たちの方がうんと英語が話せるのだということも知った。

 こんな風に日本を出ると、全く違う文化や生活があるのだということを初めて知った。テレビやインターネットでは、いくらでも世界の様子を映像や画像で見ることができるけど、実際に行かないと分からないことばかりだった。マレーシアはずっと曇っていた(産業排気ガスで)、そしてどこから来るか知らないけど、マレーシアの空気は日本にはない不思議な香りがした。そして、英語を通じてその人たちとコミュニケーションをし、新たなことを学ぶということが、とても私の好奇心を刺激した。元々あまり外向的なタイプではないけれど、新しいことを知ることが大好きだった。そんな風に、日本を出てまだ知らない色んなことを知れたなら、なんて素敵だろうと思った。

 そんな風に考え、「私はもっと色んな世界や文化を知りたい、そのために留学をいつかしたい!」その思いはこの修学旅行で明確になった。

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(移動中のバスからみた森)


 この旅行から帰国した後に学年集会があった。学年主任は「今日から君たちは受験生です!」と言った。(2年生の秋、来年はもう本格的に受験生だけど...この時期にそういうセリフいうのも自称進学校らしいな。)そんな風に思った。留学に行きたいという思いは抱いたものの、未だにハッキリと目指したい大学は見つからなかった。

 当時私は国立進学コースの文系クラスに所属していた。国立信仰に流されたのはもちろんだが、それ以上に両親に負担をかけたく無くて私立は極力進みたくなかった。けれど、明確な目標とする大学は見つからなくて、あまりモチベーションは上がらず、国立進学クラスの中ではビリの成績だったのを覚えている。

2.大学の志望進路決定、留学の行ける学部へ行く!

 そんなこんなで時間はすぎ、4年生の春になった。ある日の帰りの会の最後に担任の先生が、1枚の紙を持ちながらお知らせをした。

 「来年の春に○○大学に新しい学部ができます。この大学は4年間の中で留学が必須だそうです。ここに入学したとしたら1期生になるということですね...是非興味のある人はチャレンジしてください。」

 このお知らせを聞いた瞬間、「あ、私ここ行く。絶対にここに行く!」....突然何かが降りてきた様に私をそう思わせた。国立大学だということ、1期生だということ(歴史に残りそうで何かカッコいい笑)、留学が必須ということ。これまであれほど、進路が不明確で悩んでいたのに、直感の様なものが働いた。この日から、私はその大学、学部を本気で目指す様になった。あれほど大学は進むか否かすら、あれこれ悩んでいたのに、不思議なほど何の疑問もなしに夢中に目指す様になった。

3.山あり谷ありだった入学試験(センター本番の奇跡)

 私は勉強に関しては人よりも理解力が低く、不器用なことを重々承知していた。地頭は泣けるほど良くない。だからこそ、人よりも何倍も時間をかけなければいけないと自覚していた。負けず嫌いの性分は昔からあったので、希望進路も不明確だった1年生の頃から自主学習室へ通ったり、朝早く登校して勉強したり、していた。それは負けず嫌いと心配性故に生じたことであり、後々本当に良かったと思う。

 とはいえ、絶対に行きたいと決めた志望の大学学部に届くには10%程ボーダーが足りなかった。いくら頑張っても、センター本番まで一度もボーダーに届いたことがなく、本番を迎えた。先生は応援してくれていたけど、正直受かるとは期待されていないことは分かっていた。

 自分はとても心配性で、マイナス思考で、体調も崩しやすい。メンタルがそのまま体調に出る。そんな人間なのだが、いざという場面では吹っ切れる性質があると思う。なぜか分からないけど、本番に強いという根拠のない自信が湧いてくる。本当に本当に不安なのだけど。

 そして奇跡的にセンター本番にいつもより100点上がった。ボーダーピッタリくらいの点数を取ることができた。問題の相性が良かったのか、何なのか分からないけど、その時は「努力って報われるんだ」と言い表せない喜びを感じた。

 2次試験は自分の得意な英国社だったので、勉強も楽しくできると思っていたものの、モチベーションの維持が難しく、ここに来て何度も諦めてしまいそうになった。センターの得点が良くて、あれほどやる気にみなぎってたのに。2次試験に向けて頑張れない自分を責めた。今思えば、そりゃセンター本番まで120%努力してそのあとも1ヶ月集中力保ってやれなんて、キツいし、少し息抜けば良かったのにと思う。けれど当時はそんな考えができなかった。常に頑張れない自分は価値がないと思っていた。

 2次試験本番は、母が会場まで送ってくれた。あの日のことを私は忘れない。半分泣きそうで、でも優しく送り出してくれた母の顔。大学受験という経験は母にとっては未知だったと思う。なんだかんだ言って、私をすごく支えてくれてたなと思った。学校から塾へ行く途中に車で食べる食事を作ってくれたのは一番支えられた。

 2次試験の結果はというと、結論から言うと、合格していた。合格発表はオンラインで見ることができたので、私はそのつもりだったのだが、母がどうしても大学まで見に行こうと言った。片道2時間かけて行って、もし受からなかったらショックすぎると思い、何度も拒んだ。「せっかくの1度きりの経験なんだから、行こう!もし落ちてたら、帰りに温泉寄ろう」と母に説得された。....なんて能天気な、、、娘の緊張感分かってないでしょうと思った(^_^;)

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 合格発表の張り紙の中に、自分の番号を見つけた時は本当に信じられなかった。母と抱き合って喜んだ。ハグなんて普段全くしないけど、この時ばかりは。母は教育熱心なタイプじゃないということもあり、これまでの人生で私に勉強しろと言ったことは一度もなかった。どんなに悪い点数を取ってきても「ええ、でも高校の人たちみんな頭いいんでしょ。すごいよ」と褒めてくれた。何てこの人は能天気なんだろうと思ったけど、今思えばそんな母だったから私は頑張ることができた。両親が大学を出て、賢くて、当たり前に子供の大学進学のレールを敷いてくれる家庭を羨ましいなと何度も思ったことがある。なぜ私は大学へ行く意義から両親に説明しなくてはいけないのかと思った。

 けれど、そのように自分の思考で、自分の思いで、進路を切り開いたという選択は今でも私の大きな自信になっている。誰に言われるでも無く、悩んだ末に自分自身で決めた決断というのは、多少の苦労があっても自分を信じて乗り越えることができると思うからだ。そして、そんな風に物事を乗り越えていくと、まるで自分の能力だけで切り開いた気になってしまうことがあった。けれどそれは本当に間違っていて、両親の支えがいつもあったということも忘れてはいけないと、フィンランド留学へ行って再度認識した。

 この大学、学部へ入り、私は否応なく留学へ行く機会を手にすることとなった。今思えば、どんな学部へ行っても留学はすることができる。けれど、やりたい事が明確でもなかった私は、留学必須な学部は行き、迷う事なく自分を留学に行かせれば留学へ行けるとその時は思っていたから、そんな選択をした。この選択は後々自分をまた悩ませることになるのだが。

 中学から大学入学まで、なぜそんな選択をしたのか綴ってみました。勉強や進路選択はしんどかったけれど、バカ真面目でHSP特有の心配性だからこそ、先生の言うことを鵜呑みにして勉強を頑張れたとも言えると思います。努力しなければ、大学行くことに理解すらなかった両親のもとで育ち、大学へ行くこともなかったでしょう。

 ただ、もしこれを読んでいる方の中で、進路に悩む人がいたら、私が伝えたいことは、どんな選択をしようとも、自分で決めたこと•自分で努力したことなら世間体など関係なく自信を持って欲しいということです。偏差値とか、ステータスとか、知名度とか、そう言うのに惑わされていませんか。それは本当に自分の望む努力ですか。意思とは裏腹に、自分を知らず知らずのうちに追い込んでしまうことは、後々さらに自分を悩ますことになります。中身のない大人になります。

 

 こんなことを言っていますが自分自身、初心を忘れてはいけないなと書いていて改めて思わされました。この記事以降から、具体的な留学先決定、そこでの経験など綴っていきたいと思います。長々とした文章を読んでくださってありがとうございました!