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隙はないが、自分語り

はじめてお会いする作家さんや、お取引先の方から、よくこんな事を聞かれる。

「KISSYさんって、何で音楽をはじめたんですか?」
「どうしてトラックメイカーになったんですか?」
「どんな音楽が好きなんですか?」
等々。

どれもシンプルな質問だが、尋ねられるたびに、
「うーん、答えられなくはないんだけど、お話が長くなるんだよなぁ。」
「一言で言ってしまえば、与える印象に誤解も生みかねない…。」
と思っていたw

せっかくnoteで書き始めたので、今回は生い立ち含め、
音楽を始めた契機や、何から影響を受けて生きてきたのか、
そして今後の目標は何なのか、について綴ろうと思う。


#生い立ち

嵐吹き荒れる広島にて、爆誕

泣き声が無駄にデカい女、爆誕。

1998年7月22日(水)、広島市にて、誕生。逆子。
家で「雨女」と呼ばれているが、その所以は嵐の中で生まれて来たことにある。

昔から、お口がへの字。赤ん坊のクセに、疑い深い目つき。

ちなみに、今でも家族や友人とどこかに出かけるたびに、
大雨/吹雪に苛まれ、私のせいにされる。
もし私と出かけることがあれば、どうか雨傘を持っておいてほしい。

7歳、iMacとの出会い

運命的な、出会い。

図工の授業で褒められることが多かった私は、
家で「イラストやってみたいんだよね〜」とよく言っていた。
そしたら、7歳の誕生日に、父が iMac をプレゼントしてくれた。

分かる人には分かる、「人生ではじめての『Wow!』」を捉えた、良い写真だ。
最初は iMacでイラストのアプリを弄っていたが、
次第にYouTubeを毎日のように漁り始め、
気づけばK-popヲタクになっていた。。。
そして、中学受験に失敗した。
過去問をやらなかったからだよ。

13歳、やってみたらできちゃった「作曲」

これは数年前、J-WAVE SONAR MUSIC でもお話したことのあるエピソード。

KISSY:音楽、特にコンピュータミュージックを始めたのは、偶然家にMIDIキーボードが転がってて。それを興味本位で自分のPCに繋げて、音楽制作用のソフトを立ち上げてみたことがきっかけでした。

【注目の学生アーティスト】KISSY、トラックメイクを始めたのは13歳! 目標は国内外で活躍するプロデューサー

元々、エレクトーンを習っていて、ずっと作曲をしたいと思っていた。
父親のMIDIキーボードを試しに繋いだら、GarageBandが立ち上がり、
「お?ワンチャンこれで作曲できるのでは?」
と気づいたのである。
こうして、7歳でもらった iMac が6年の時を経て、真価を発揮したのだ。

ちなみに、初めて作った曲がこちら。

ちょうど12年前の冬。テーマはクリスマス。
ヤ○ハ音楽教室で習った、カデンツ(I、Ⅳ、Ⅴ7)を使った曲w
クオンタイズも、ミキシングも、マスタリングも何も分かっていなかったから、
勿論作品の質としては最低。
けれども、踏み出した最初の一歩としては、最高だったと今でも思う。

中学時代は、作曲と勉強以外は何をしてもダメで、とにかく燻っていた。
というよりは、
「作曲と勉強をしていないと、自分の心がダメになりそうだった。」
と言った方が、正しいかもしれない。

高校受験直前の冬、
友人がBIGBANGの東京ドームコンサートに行っている間も、
ドームそばのファーストフード店で、
EXOのアルバム「Miracles in December」を通しで聴きながら、
勉強していたのが懐かしいw

中学受験とは真逆に、サボらず勉強した結果、高校受験は成功した。

中学の卒業文集。体力をつけることだけは出来ませんでした。残念。

上の写真は、中学の卒業文集。
一応、外資IT企業で働きながら、音楽を作って世界に届けているから、
アンタのその夢、叶っているってことで良いよね? :)

17歳、英語、韓国語、そして…ジャズ

ジャズベーシスト・KISSY。なんかかっけえけど、相変わらず、お口はへの字。

都立で唯一の国際学科の高校に入学した私。
とにかく音楽で青春したかったのと、
同じ中学の先輩がいらっしゃったこともあり、ジャズ部に入部した。
最初は、ジャズピアノをやりたかったが、セレクションで呆気なく落とされ(笑)、ベースを担当することに。
世の中のベーシストの中で、自らの希望・意志で始めた人って、
どれくらいいるのだろう…?

ジャズスタンダードや、スケール、コード進行など、
音楽的素養を育めたことは良かった。
間違いなく、今の音楽制作にも影響を与えている。
それ以上に幸運だったのが、ジャズ部、
特にピアノ・ベース・ドラムスで構成されるリズム隊の、
同期・後輩に恵まれたことだ。
今でも楽曲制作を一緒にしてくれて、
向井太一「Young & Free」でも共作してくれた、
ピアノのコジマくん a.k.a Little Island。
私のシングル「Umwelt」のカバー写真を撮ってくれたのは、
ドラムスのいとりか。
R&Bアーティストとしての一歩を踏み出す時に、
アルバムのプロデュースという形でサポートさせてもらった、
ベース隊・後輩のitsumi
卒業後も、音楽を通して関われること自体が奇跡だ。
勿論、音楽以外で、楽しく人生を語り合ってくれる、
賢くて才能豊かな同期・後輩には感謝してもしきれない。

ジャズ以外では、とにかくスパルタ英語教育について行くことと、
自らが志望した第二外国語の韓国語の勉強を頑張った。
英語は、洋書・教科書・受験用問題集・単語帳暗記という、
鬼のカリキュラムをこなした。
高校入学時は515点だったTOEICスコアも、高3夏には730点くらいまで伸びた。
韓国語の授業は、基本的に自学自習が成績を取るための肝であったように思うが、先生のお話に独特な面白さがあって、3年間しっかり履修した。
今でも脳内でこだまする、허 선생님 の決め台詞、
「アンダ(안다)ステン[= understand]かな?」(笑)

20歳、やっぱり「音楽」だ

大学に入学し、相変わらず韓国語を履修し続け、
音楽系の研究会に入っていた20歳の私。
普通に就職して働くのも違う、かと言って、大学院に行くのも何か違う。
将来の方向性について悩んでいた時期だった。
そんな時に、韓国のホットなプロデューサーデュオ・「GroovyRoom」が来日し、東京でライブをするとの情報を耳に。
「いや、これは、行くしかないっしょ。」
韓国音楽が好きな、高校同期・コジマくん a.k.a Little Island も誘って、
渋谷のWOMBへと繰り出した。

GroovyRoom の フィミンさん、ギュジョンさんと。

DJプレイは勿論最高だったが、何より、
「自分の作った音楽で、沢山の人を感動させることが如何に素晴らしいか」
を彼らが教えてくれた。

私も、こういう人にならなければいけないと思った。

これが、私の「音楽プロデューサー」としてのキャリアを本格化させる
きっかけとなった。

J○Pをはじめとする、韓国大手の音楽出版社に自作デモを何度も送った。
結果は全然ダメで、制作と機材投資をして再チャレンジすべく、
1年間休学もした。

休学明けに COVID-19 流行が本格化し、在宅時間が増えたが、
これも私のキャリアにとっては追い風となった。
J-popやK-popで活動している、海外のプロデューサーさんから
InstagramでDMが届き、オンラインでコライトをするようになった。
そして、彼から日本での取引先の情報をGETし、
すぐにオーディションを受けたところ、先方より前向きなリアクションを頂いた。

有難いことに、そこから半年ほどでコンペ採用を頂き、
在学中に作家としてメジャーデビューすることが出来た。

大学卒業後も、企業でパートタイム勤務をしながら、音楽を作り続け、現在に至る。

#影響を受けた人

両親

CGクリエイター/フォトグラファーの父、
グラフィックデザイナーの母の下に生まれ、育った。
「生みの苦しみ」を理解してくれる存在が身近にいることは、
大きなアドバンテージであった。
また、自分の興味のあることに対して、否定をされたり、
成功するように圧力を掛けられたりしたことは、一切なかった。
勉学についても同様だ。
自分の目標、計画を常に尊重してくれることに感謝。

飯野賢治

飯野賢治没10周年企画|fyto より引用

飯野賢治氏。
ゲーム界の風雲児であり、音楽家であり、私の幼馴染のパパでもあった。
幼少期から飯野氏のブログや、YouTubeでの音楽作品を拝見していた。
彼の言葉、作り出すもの、すべてが当時の私をときめかせた。
私がnoteを書き始めたのも、eno blog の影響が大きい。
今でも、私のクリエイターとしての、ロールモデル的人物だ。
ご縁があって、飯野氏設立のfytoとも最近お仕事させていただいており、
アニソンカバープロジェクト「熱烈!アニソン魂」の制作に
携わらせていただいている。
そろそろ、お墓参りに伺わないとなぁ。

Yoon Sang

[GL Interview] 뮤지션이 존경하는 뮤지션, 윤상의 이야기 より引用

ユンサン先生。
韓国で90年代から活躍されている、アーティスト/作曲家/音楽プロデューサー。
Z世代には、「RIIZEの末っ子、アントン君のパパ」と説明した方が、
分かってもらえるかもしれない。

高校時代、Lovelyz の音楽にどハマりしたのを契機に、
楽曲プロデュースを担当していたユンサン先生の音楽を聴くようになった。
シンセやパーカッションの使い方は勿論、複雑なコードを巧みに織り交ぜながら、美しく転調させるそのテクニックに夢中になった。
現代的なサウンドを積極的に取り入れる姿勢も含め、心からリスペクトしている。
私の音楽家としてのロールモデルは、間違いなくユンサン先生だ。

私の特に好きな楽曲たちを、Apple Music のプレイリストにまとめている。
ぜひ聴いてみていただきたい。

私が提供した楽曲の中だと、FANTASTICS - BABY ROSE
Cメロ〜ラストサビにかけての転調で、
彼のテクニックの影響を多分に受けている。
マイナー、ディミニッシュ、メジャーを織り交ぜながら、
滑らかで、品のある転調に仕上げたつもりだ :)

#バケットリスト

アジアを代表するヒットメーカーになること

日韓中のレッドオーシャンなマーケットで、ヒットメーカーになることは、
このキャリアを歩み出した時からの変わらない目標。
少なくとも、20代の間に、3か国の主要チャートで1位を複数回獲り、
Multi Platinum 作家にならなければいけない。
まずは、今の制作ペースを維持しつつ、採用率を上げるべく、
質を向上させることを心がけたい。

サンプルパック・プリセットパック発売

私は作曲・アレンジと同じくらい、サウンドデザインが好きだ。
そんな私が手作りした、SERUM (=バーチャル・シンセサイザー)用
プリセットパックを、今月リリースする運びとなった。
実は、9月からこの計画を練り始めていて、
BLACK FRIDAY より前にリリースする予定であったが、
自身の体調不良により、延びてしまっていた。
沢山のジャンルに応用でき、ノブやモジュレーション・ホイールで
簡単に音色を大きく変化させられる、至極のプリセットパックになっている。
トラックメイカーの皆さんには、ぜひ使ってみていただきたい。
KISSY SERUM PRESETS VOL.1、乞うご期待。
また、いつかはサンプルパックもリリースしてみたいとも考えている。
こちらもお楽しみに。

渡韓・渡欧

私にとって最も実践できそうで、できないのが、海外渡航。
元からの疾患の影響で、長時間のフライトに不安があるためだ。
恐らく、韓国くらいのフライト時間には耐えられるが、
渡欧となると、なかなか難しい。
いつか、身体と心のコンディションが好転したら、
韓国やヨーロッパの作家さんとの対面セッションに参加したいし、
ゆっくり観光もしてみたい。


図らずも、かなりの長文になってしまったが、
このエントリーを通じて、私のことを少しでも知っていただけたなら、
嬉しい限りだ :)

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