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小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑯

銀座のギャラリーで

11月最後の週末、銀座の並木通りにあるギャラリーで、岩田郁子は橋本雅子と待ち合せをしていた。韓国の女性アーティストの個展が開かれており、岩田が橋本を誘った。狭い会場だったが、10数名の客が熱心に作品を鑑賞していた。和紙のような素材の紙で作られた箱状のカバーが天井から幾つも吊り下げられ、内側から豆電球の光が照らされていた。赤や緑の葉っぱの文様が浮き出て、暖かい雰囲気を醸し出していた。

「今年も紅葉は見に行けなかったけど、こちらの作品を見てたら、何か紅葉を観ているような気になったわ、素敵ね、私は好きよ」橋本が岩田と会場内を歩きながらつぶやいた。

「なるほど、面白い感想ね。この紙の素材感と電球の温もりが合ってるわよね、季節感があるかも。そう言えば、小幡君のフェイスブックで、深耶馬渓の紅葉の写真が載せてあったわよ」岩田も合わせた。

しばらくギャラリーで過ごした二人は、中央通りに面したビルの3階にある料理屋へ移動した。カウンターの席が八つしかない店で、端の二席が用意されていた。

「あれから、しばらくぶり、お元気そうで何より」岩田が橋本の杯に合わせた。

「今年もあっという間ね、もうすぐ師走でしょう。最近は毎年、年末が来るのが早く感じちゃう、郁子はどう?」

「そうね、私は独立してから仕事の量も抑えているし、そんなに年の瀬だからといって、変わりはないかな。私はこの時期、ヨーロッパはクリスマスシーズンに入るから、通りのクリスマスネオンの飾りつけが懐かしいかな。ロンドンも人に暖かい街に変わって行くのよ」

「そうか、私はロンドンはずっと行ってないかも。昔、外資に入社した後、研修で行ったぐらいかな。あの時、郁子もロンドンにいたけど、確か都合が合わなくて会えなかったね」

「そんなこともあったわね。40代は結構、お互い頑張って仕事したね」

二人の会話は、思い出話から、2月の同窓会の話題に移っていった。目の前に、日本酒と料理が次々に出されていた。

「同窓会は楽しかったね、みんなとあれほど長い時間一緒にいたのは、学生の時以来じゃない。いい思い出になったわ。そう言えば、福永君の手紙は読んだ?」橋本が少し赤みを帯びた顔で岩田の横顔を見た。

「そうね、久しぶりに楽しかったわ、誰に気を遣うということもなかったし。私には新しい故郷の発見にもなったわ。うん、福永君の手紙も読んだわよ。10年以上も前の手紙と思えないくらい、ジーンと来たわ。何か今でも福永君が近くにいる感じ、みんなにとって大切な人だったね」

「そうね、珍しく、私も自分の幸せって何かなって、考えちゃったわ」

「そう、時間を大切にして、幸せに過ごさないとね」

「ところで、同窓会の時も聞けなくて、前から気になってたけど、福澤君となぜ、卒業して別れたの?みんなは不思議に思ってて、誰も聞かないので、いつか聞いてみようと思ってたのよ、ごめん、酔った勢いで、昔の話が嫌だったら話さなくていいけど」橋本はナプキンで口元を拭きながら岩田の反応を待った。

「そう、私たちのこと、みんな気にしてたの?知らなかった。気を遣わせて悪かったわね。シンプルよ、あの時は私のせい、私がきっぱり別れようと彼に言ったのよ」

「ええ、そうなの、なんで?今さら、聞いてびっくり」

「そうよね、私、東京に出る前に親と約束したのよ、福澤君とは大学在学中に別れるって。高校の時から、私たちが付き合ってたのが、少し評判になったでしょう、親の耳にも入ったのよ。うちは古い家じゃない、田舎で医者の世界は狭いのよ。私の高校生の時、もう親は医者同士で、私の嫁ぎ先を決めてたの。だから、大学卒業までは大目に見る、卒業後、親の決めた相手とすぐに結婚するっていうことになってたわけ」

「へえ、そうなんだ。郁子の家は格式が高いから、結婚する相手も親が決めるんだね。じゃ、二人は喧嘩して別れたんじゃないんだ」

「そう、でもちょっとびっくりさせちゃって。私は冷たい女だとずっと思われてたんじゃないかな。理由も説明しなかったので人間不信になったかも」

「そうか、でも、よく二人が顔を合わせられるようになったわね」

「そうね、でも、卒業してから20年以上、一度も会ってなかったんじゃないかしら。昔、確か40歳過ぎぐらいの時、東京で高校の同窓会があったじゃない、私たちの年代が幹事の年で。そのときに初めて再会したのよ。それ以来、連絡を取り合うようになったかな。でも、私はロンドンにずっといたし、ほとんど会う機会はなかったけど、そう、たまに福澤君がロンドンに出張に来た時、何回か会ったわね。さすがにもうお互い大人だから、友達みたいな感覚よね」

「そう、でも、興味津々で聞いて悪いけど、郁子は誰と結婚するはずだったの?」

「大分の市内に、大友宗麟の時代からある医者の家系があるのよ、その家に、私より5歳上の医者の男性がいて、その人と見合いをして結婚となったわけ」

「へえ、豊前と豊後で違うけど、お互い、藩医同士だ?」

「そう」

「歴史を大切にするのね、さすが郁子の家は。それで結婚はどうだったの?」

「いや、話は長くなっちゃうけど、大学卒業後、すぐに婚約して、結婚式も盛大に大分市のホテルでやったのよ。ごめん、友達は誰も呼べなかったけど。でもね、新婚生活は一か月も続かなかったわけ。相手には悪かったけど、すぐに相性が合わないってわかったのよ。それで、私は向こうの家を飛び出しちゃったの。だから、婚姻の籍は入れてなかったので、離婚歴はないけど、一度は結婚したのよ、恥ずかしくて、今まで中津の友達には言えなかったけど」

「そう、聞いてびっくり。でも、郁子だったらやらかしかねないね。ごめん、卒業してからほとんどお互い会ってなかったもんね。相談相手にもなれなかったし」

「もう昔のこと、大丈夫よ。私はそれからすぐに東京に戻り、翌年、運よく就職できたわけ」

「そうなんだ、波乱の社会人スタートだったんだね。福澤君は何も知らないで可哀想だったわね、それじゃ」

「そう、彼が理由を知ったのは、ロンドンで私が打ち明けた時かな。その時は私もパートナーがいたし、彼は結婚してお子さんもいたし、互いに他人の若い頃の思い出話をするような感じで、さらっと話は終わったけど」

「そうか、だんだん思い出してきたけど、確か小幡君の話だと、福澤君は別れてから一時期、結構、落ち込んでたって言ってたわよ、でも、もう昔の話しか」

「そうね、何か不思議な感じ、だから、今みんなと一緒に福澤君と会っても、気まずい感じがないのは助かってる」

「そうよ、男はナイーブなんだから、郁子はやっぱり豪快ね、罪づくりだけど」

「で、あなたはどうだったの、離婚の理由は?どうして別れたの?」

「えー、今度、私の話?」橋本はナプキンを椅子に残し、一度、休憩室に向かい席を立った。

「私の話はあまり面白くないけど、聞く?」

「うん、興味あるよ」

「そう、なら話す。うちの旦那は無口じゃない、その分、私はうるさいけど。家でもほとんど私が話をして、彼の話を聞くことはなかったのよ。私は毎晩接待で忙しかったし、彼は会社の財務担当で、いつも夜遅くまで仕事をしてたし。子供の面倒はよく見てもらったけど、互いに疎遠になっちゃったのよね。それで、私も油断してたけど、全く女性にもてると思わなかった旦那が浮気に走ってたわけ。相手はね、行きつけのスナックに手伝いに来てたシングルマザーの女性。向こうにも女の子のお嬢ちゃんがいたのよ。それと出来ちゃって。自分の娘の名前を呼ぶときに、別の子の名前と間違えるから、おかしいと思って問い詰めたのよ。そしたら、全部吐いたわけ。もう5年以上関係が続いてたのよ。不潔で、腹が立って、即離婚、叩き出しちゃったけどね。ちょっと待って、私、自分の話をしだしたら、気分悪くなっちゃった。すみません、大将、米の焼酎をサワーでいただける?」

岩田と橋本は、2月の同窓会ではできなかった、女同士の会話に花が咲いた。

「お互い、まだ、諦めた訳じゃないから、また、いい男と出会うのを期待しよう、どう、郁子も」

「はい、はい」岩田はあいまいな返事をしたが、笑顔で雅子の背中に手をかけた。

(以上で、抜粋はおわり)

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