見出し画像

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋①

中津駅のホームから

高架線のホームから眺める街は雪で真っ白に覆われていた。
小幡次郎は大学受験で東京に向かった日も、同じように大雪だったことを思い出していた。

その日、同級生の一人がわざわざ駅まで見送りに来てくれた。
途中、雪道で自転車は使えなくなり、友人は車体を背中に担いで駆けつけてきた。
しばらく立ち話をして「お互いベストを尽くそう」そんな言葉を掛け合い、二人は握手をして別れた。心細い気持ちが少し落ち着き、小幡は東京に向かう特急電車に飛び乗った。

何十年か経ち、見送りに来た同級生にその話をしたことがあった。本人はよく覚えていないという。
小幡はそれ以来、自分が過去の友情を美化していたのか、それとも記憶違いか夢で見たことなのか、定かでなかった。

ホームから雪景色を眺めながら、小幡は友人から「俺はそれ覚えとらん」と返されたことがよみがえり、苦笑いした。

小幡は両親も、自分の大学時代に上京したことから、故郷に戻る理由がなくなっていた。
そして、四〇年振りに、その故郷に行き来し始めたのがここ数年、コロナ禍で九州の博多に居を移してからだ。

小幡は雪が嫌いではなかった。人生の節目には必ず大雪が降る、いつしかそんな風に考えていた。自分が生まれた日に雪がどっと降った、という話を親から聞かされていたこともあるかもしれない。雪が降り、あたり一面が真っ白に変わる。人生をリセットするタイミングに合わせて、雪が降ったという気がしていた。この日も故郷で久しぶりの雪を見ることになった。

2023年2月3日、東京から大分空港や北九州空港に降り立つ飛行機の便は大きく乱れた。「雪で少し遅れる」和田裕二から小幡のスマホにメッセージが入っていた。

普段なら中津駅南口から集合場所の料理屋まで、歩いて三分ほどの距離だ。雪は止んでいたが積雪が五センチほどあり、小幡はリュックを担ぎ用心して歩を進めた。夕方の5時を過ぎていたが、曇天の空はまだ十分に明るかった。

中津駅前の交差点を左に曲がると、右手に料理屋の明かりが目に入った。
小幡は店に入ると、すぐに仲居の案内で2階の部屋に通された。
まだ、誰も到着しておらず、小幡は椅子に腰かけ、ゆっくりとカバンからメモ帳を取り出した。これから始まる三泊四日の旅の計画を反芻するためだ。

しばらくして茶が運ばれ、小幡は一息ついた。個室の部屋の中を見渡すと、タレントの片岡鶴太郎の作とされる「つの字 鱧(はも)」の書が描かれた大きな屏風が目に入った。体長が1メーター以上ある鱧が太い体をくねらせていた。

大分県中津市は、近年「唐揚げ」で一躍有名になったが、「鱧」料理も地元の名物だった。中津駅のホームには「日本一長い鱧の椅子」があり、小幡の目にも留まっていた。

この日、JR日豊線の電車が中津駅に到着する前「次は福澤諭吉のふるさと、中津でございます」と車内放送が流れ、小幡は「おやっ」と思った。はじめて耳にした放送だった。
中津市は、慶應大学の創立者、福澤諭吉の地元だが、このことはあまり世間に知られていない。中津駅周辺には福澤諭吉の銅像やポスターが目を引く。JRの車内放送も地元の広報活動の一環か、と小幡は思った。

九州の島の形を人の姿になぞらえると、中津市はちょうど首の右側の付け根辺りにある。地理的には、北九州市の小倉、温泉で有名な別府市の真ん中に位置する。北は瀬戸内海の周防灘に面し、南は山間の景勝地、耶馬渓まで縦に広がる人口8万人の地方都市だ。この町に特色がないわけではない。ただ知られていないだけだ。

九州南部の宮崎県や鹿児島県とは違い、大分県の2月は寒い。
小幡は仲居に出された茶碗を両手に抱え、友人らの到着を待った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?